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OTV報道部

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復帰を知る vol.5 ~「沖縄を返せ」に託した想い~

沖縄は2022年、本土復帰50年の節目を迎える。OKITIVEでは「本土復帰50年企画」として、2012年に沖縄テレビのニュース番組内で特集したシリーズ企画「復帰を知る」などの過去の放送素材と、新たに取材した復帰にまつわる内容などを加えて特集していきます。
5回目は、復帰前に盛んに歌われた「沖縄を返せ」から復帰運動の原点を見つめます。

復帰を知る vol.5 ~「沖縄を返せ」に託した想い~

歌「沖縄を返せ」
♪固き土を破りて 民族の怒りに燃ゆる島 沖縄よ

今も「沖縄を返せ」を歌い続けている歌手・大工哲弘さんは、復帰前、沖縄の返還を夢見てこの歌を歌った。

復帰を知る vol.5 ~「沖縄を返せ」に託した想い~

歌手・大工哲弘さん
「(復帰後は)当たり前のように復帰されたような感じでみんな歌わなくなってしまった」
「僕はどうにかこれを沖縄の時代の変遷の中で歌ってきたものを伝えていきたいと思っていたんですよね」

復帰を知る vol.5 ~「沖縄を返せ」に託した想い~

2012年3月、大工さんは多くの若者を前に歌った。若者たちは、この歌を知っているのだろうか?

【参加者インタビュー】
Q.この歌を聞いたことは?
A.「なかったですね。(歌詞が)ストレート過ぎてビックリはしたんですけど感動しました。昔はこうだったんだなっていう想いをすごく感じられて良いと思います」

初めて聞いた若者にも届くこの歌を誰が作曲したのか、復帰前、歌を広めるため活動した元沖縄青年合唱団の浦崎直定さんに話を聞いた。

Q.誰が歌を作ったのか?
元沖縄青年合唱団 浦崎直定さん
「沖縄への想いを込めて全司法福岡高等裁判所の職員お二人が作られた」
「これほど沖縄でも全国でも歌われて大きな力を発揮した曲はないんじゃないかと」

復帰を知る vol.5 ~「沖縄を返せ」に託した想い~

浦崎さんは、1956年に大分県で開かれた九州のうたごえ祭典で歌われたのが最初だったと話す。

復帰を知る vol.5 ~「沖縄を返せ」に託した想い~

調べを進めると、当時を知る方が福岡に居ることがわかった。

Q.曲を作った経緯は
全司法福岡高裁支部 元組合員 後藤幸雄さん
「私共の仲間も一生懸命になって本土復帰を闘っている」
「そういう状況でしたから本土の人間の想いを伝えたいと」

当時、福岡高等裁判所に勤務し、労働組合員でもあった土肥昭三さんと中島定良さんの二人が作詞作曲を手がけ、後に多くの労働歌を作った荒木栄さんによって編曲されたと話す。

復帰を知る vol.5 ~「沖縄を返せ」に託した想い~
復帰を知る vol.5 ~「沖縄を返せ」に託した想い~

歌詞の「固き土を破りて」には、沖縄の人々土地がアメリカ民政府によって接収された怒りを込めたと話す。

全司法福岡高裁支部 元組合員 後藤幸雄さん
「沖縄が島ぐるみの闘いでしたらカンパをしたんですよ」
「労働組合ですけど農民の闘いに対しても支援をするという当時の気持ちがありましたので」

歌「沖縄を返せ」
♪固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ 我らと我らの祖先が血と汗をもて 守り育てた沖縄よ われらは叫ぶ 沖縄よわれらのものだ 沖縄は 沖縄を返せ 沖縄を返せ

米軍による土地の強制接収で苛烈を極めた地域に伊江島がある。

<伊江島での土地の米軍による強制接収について>
・1954年米民政府は伊江島で抵抗する住民を銃剣で排除し13戸の取り壊しを強行
・住民の食糧事情は悪化し8割が栄養失調になった
・行政に救いを求めても事態は好転せず、乞食行進で実情を訴えた。
・米民政府の横暴に1956年10万人の県民が怒りを爆発させた。

復帰を知る vol.5 ~「沖縄を返せ」に託した想い~
復帰を知る vol.5 ~「沖縄を返せ」に託した想い~

伊江島土地闘争の語り部阿波根昌鴻さん
「(土地は)私達の命であり、生命であり、ちょうど魚が水の中に住んでいるのと同じで土地から離れては農民というのは生活できない、生きられない」
「一番この世に大事なものは土であるというのを私達は信じておるんです」
(番組「30年目の証言~伊江島土地接収~」より)

復帰を知る vol.5 ~「沖縄を返せ」に託した想い~

「沖縄を返せ」は、1957年に本土で始まった沖縄返還国民大行進の際に歌われ全国に広まった。こうした大衆運動をアメリカ民政府が警戒していた事を伺い知る出来事があった。

1960年に沖縄教職員会が愛唱歌集4000部を発行したが、アメリカ民政府は許可なしに発行したのは布令違反として回収命令を出した。

復帰を知る vol.5 ~「沖縄を返せ」に託した想い~

元沖縄青年合唱団 浦崎直定さん
「単なるうたごえ歌集にもアメリカ当局は弾圧を加えた歌を歌う自由もない、そういう時代だったと思います」

異民族支配からの開放を求め熱狂的に歌われた「沖縄を返せ」ですが、1970年以降は歌われなくなった。その理由は、県民が復帰に託した基地の全面返還要求は叶わず、日本政府への反発の高まりが、沖縄が帰ろうとする日本とは何かという問いへと変わった為だとされている。

復帰を知る vol.5 ~「沖縄を返せ」に託した想い~

歌手・大工哲弘さん
「沖縄をっていうのはどこに返せばいいんだって、そのへんの曖昧さが囁かれていくんですよね」「みんなで歌うためにはどうしたらいいんだろうと。一文字変えさせてもらったんですよね」

復帰を知る vol.5 ~「沖縄を返せ」に託した想い~

♪われらは叫ぶ沖縄よ われらのものだ 沖縄は 沖縄を返せ “沖縄へ返せ”

大工さんは「沖縄へ返せ」と歌う。

復帰を知る vol.5 ~「沖縄を返せ」に託した想い~

歌手・大工哲弘さん
「(本音は)早く歌わないで良い沖縄になってほしい」

復帰50年未来へ オキナワ・沖縄・OKINAWA
2022年5月15日(日)正午から沖縄県内のテレビ8チャンネルにて生放送!

>番組情報はこちら!

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