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宝くじ収益金はどこへ行く? “奇跡の一マイル”国際通りとの繋がりは? 幸運アンバサダーとともに見つめ直す、沖縄の歩みと「宝くじの価値」
「宝くじで超高額当せん!」
「夢の一攫千金!!」
そんな奇跡をつかむ人がいる一方で、それよりもずっと多くの「当たらなかった人達」がいます。
ただ、宝くじの恩恵は当せん者だけに与えられるものではありません。
宝くじ幸運アンバサダーの小野田百合さん(令和7年度宝くじ幸運アンバサダー)がやってきたのは、那覇市のメインストリート・国際通り。
実は、この国際通りの道路や景観の整備に、宝くじの収益金が使われているのです。
“奇跡の一マイル”国際通りと、“奇跡”を夢見て手にする宝くじ。
奇跡が交差するこの場所で、今回は「宝くじが私たちの暮らしにもたらす価値」を見つめ直していきましょう。
目次
収益金の約4割が、全国各地の「公共事業等」へ
宝くじの収益金の使途は、主にこちらの4つ。
半分近くは「当せん金」となり、広報や印刷などの諸経費を除いた約40%が全国各地の公共事業等に使われています。
令和6年度の場合は36.2%、金額にすると実に2,750億円にも上ります。
収益金が役立てられている公共事業、その具体例がこちらです。
①暮らしのために
橋や道路の整備、交通バリアフリー対策など
②子どもたちのために
学校をはじめ、公園や図書館・博物館などの整備、子育て支援事業への助成金など
③バリアフリーのために
障がい者支援や女性キャリアサポート、多文化共生推進事業など
④防災のために
防災施設の整備、河川の改修、災害に備えた防災訓練、防災ヘリコプターの運営など
⑤健康のために
AED普及促進事業、高齢者福祉事業への助成金、検診車・移動採血車の整備など
沖縄における宝くじ収益金の活用事例
令和6年度には、約53億円の宝くじ収益金が沖縄で活用されました。
その活用例の一つが、沖縄の自然・歴史・文化・芸術を一度に鑑賞することができる、沖縄県立博物館・美術館「おきみゅー」。
この施設では、資料の収集及び保管管理、展示会の開催、調査研究に、収益金が充てられているのです。
ほかにも……
次世代ウチナーネットワーク育成事業
次世代を担う若者の人材育成のための海外県人会ホームステイ派遣
子ども・若者育成支援事業
子ども・若者、青少年を健全に育成することを目的とする運動推進、啓発、支援
県単道路維持費
道路の維持管理及び対策
など、公共事業や文化振興事業、教育や人生育成といった様々な事業等の財源として、幅広く役立てられています。
戦後復興の象徴・国際通りが、“奇跡の一マイル”と呼ばれるまで
そして、収益金の活用先として、忘れてはならないのが国際通り。
たくさんの商店や観光客で日々にぎわうこの一大繁華街は、かつての沖縄戦で焼け野原と化した惨劇の地でもありました。
戦後復興の象徴とされる国際通りが、どのような歩みを経て“奇跡の一マイル”と呼ばれるに至ったのか。その軌跡を辿ります。
「アーニー・パイル国際劇場」開館
「戦争は終わったが、沖縄の人々は疲れ切って娯楽に飢えている。同胞を慰めるために映画や演劇をやりたい。そのための劇場を創りたい。」
沖縄の実業家・高良一氏が米軍に対してこのような申し出をしたのは、終戦から数年後。地元を追われた住民たちが、米軍の収容所から少しずつ那覇の街に戻り始めたころでした。
高良氏は、那覇の中心に位置する牧志に目をつけ、当時米軍の物資集積所となっていた土地の開放を求めたのです。
米軍の許可を得て劇場の建設が始まり、1948年には「アーニー・パイル国際劇場」が開館しました。
劇場名には、伊江島で戦死した米国の従軍記者「アーニー・パイル」の名を冠し、沖縄が今後国際化へと進むことを予期して「国際」の言葉が加えられました。
アーニー・パイル国際劇場は、連日満員の大盛況。
高良氏は、この光景を喜ぶとともに「劇場周辺を新しい那覇の中心街にしたい」と想いを募らせました。
「奇跡の一マイル」国際通りの誕生
その後、アーニー・パイル国際劇場を起点として、劇場や商店が続々と軒を連ねるようになり、沖縄の経済活動は那覇を中心に再び盛り上がりを見せました。
1950年には、商店の店主たちが集まって通り会を結成。
アーニー・パイル国際劇場の名前にあやかり、その通り会は『国際大通り会』と名付けられました。
それに伴い、旧那覇中心部〜安里に至る牧志街道も「国際通り」という名称で呼ばれるようになったのです。
戦争で壊滅的な被害を受けながら、戦後凄まじい勢いで復興を遂げた国際通り。
当時取材に来ていたとある外国人記者が、この光景に感銘を受け、国際通りの距離と絡めて「奇跡の一マイル」と表現したといわれています。
本土復帰、そして沖縄を代表する観光地へ
1972年、沖縄県はアメリカの統治下から日本に復帰。
沖縄への渡航にパスポートが不要となり、国内旅行として気軽に往来できるようになったことで、県外からの観光客が急増しました。
国際通りのルーツとなったアーニー・パイル国際劇場は、映画産業の衰退によって当時すでに取り壊されていました。
そして、その跡地に建てられた「国際ショッピングセンター」には、土産店や生活用品店、飲食店などの様々な商店が入居。地元住民から観光客まで多くの人々が足を運びました。
こうして国際通りは「沖縄観光の中心地」となり、観光都市としての魅力を高めていくために、今日に至るまで交通・景観整備を重ねてきました。
収益金を通して“奇跡の一マイル”を支えられることは、同じく“奇跡”を生み出してきた宝くじの誇りでもあるのです。
「宝くじ収益金の使い道、ご存知ですか?」国際通りで街頭調査
さて、そんな国際通りを歩く皆さんは、宝くじ収益金の使い道についてどれほどご存知でしょうか?
国際通り入口にある「みずほ銀行前チャンスセンター」前にて、道行く方々にお話を伺ってみました。
最初に声をかけたのは、仕事の転勤で沖縄にやってきた20代女性。
宝くじは「年末ジャンボとかサマージャンボをたまに買うくらい」とのことです。
宝くじ=ギャンブルと感じているらしく、収益金については「どこかの企業の利益になっているんだと思っています……」と少し苦々しい表情。
収益金の正しい使途についてお伝えすると、「へぇ~知らなかったです!」と目を丸くされました。
「このことを知って、宝くじのイメージってちょっと変わりそうですか?」
「宝くじというか……自分のお金をドブに捨てているわけじゃなくて良かったです(笑)」
率直なお気持ちありがとうございます。収益金の使い道を知ることで、宝くじへの抵抗感が減るのは嬉しいことですね。
続いては、売り場に来られた男性3名のグループ。
皆さん沖縄出身で、ジャンボのたびにお金を出し合って宝くじを共同購入する「宝くじ仲間」とのことでした。
この日は宝くじを購入しに、ではなく、当せん手続きをしに来店されたそう。
「おめでとうございます! いくら当せんされたんですか?」
「えっと……1,000万円。」
奇跡と遭遇しました。さすが奇跡の一マイル。
もう10年以上前から毎日売り場に通っているこちらの男性、収益金の使途については「もちろん知ってるよ。」と流石の玄人ぶりです。
「国際通りとか道路の整備、あと学校とか博物館にも使われてるんでしょ。この前、あのクジラ(クーちゃん)のバスも見たよ。」
※沖縄県立盲学校のスクールバス「Newちゅーぶ号」車両購入に宝くじ収益金が使用され、バスにクーちゃんがプリントされています。
「俺はもう、沖縄のために宝くじで何十万も使ってるよ(笑)」と言い残し、男性は1,000万円の当せん書類片手に去っていきました。
今回初めて国際通りを訪れ、その街並みや活気を目の当たりにした小野田さん。
「沖縄の象徴ともいえるこの場所で、宝くじの収益金が役立てられているのは、本当に素晴らしいことだと思います。」
多くの人の夢となり、時に奇跡を生み出し、その一方で私たちの暮らしにも還元される。日常の景色を豊かにする宝くじの価値を、改めて実感したようです。
「この1枚にも、社会を支える力がある。」
そんな気持ちで宝くじを手にしてみると、高額当せんへの夢とはまた違った、宝くじの新たな魅力が見えてくるかもしれません。
参考文献:
大濱聡「沖縄・国際通り物語 ー「奇跡」と呼ばれた一マイルー 」ゆい出版,1998年
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