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鎌倉芳太郎~首里城を救った男~【オキナワ強者(チューバー)列伝】
2019年、ここ小さな島で起こった信じがたい出来事は世界に激震を与えた。
失われた琉球王国の象徴、“首里城”。
「このままでは終われない」思いは海をこえてつながり、7年の歳月を経ていよいよその姿が甦る。
しかし、首里城が直面した試練は今回だけではなかった。時代の荒波に飲まれ 幾度となく試練にさらされた首里城を情熱と執念で救った強者たちがいた!
1人目の強者は、琉球をこよなく愛し膨大な記録資料を残した鎌倉芳太郎!!
1898年香川県三木町氷上生まれ。日本画に触れたことで美術教師を目指すようになり、1918年、現在の東京芸術大学にあたる東京美術学校図画師範科に進学する。
卒業後、国より沖縄県への出向を命じられ、1921年から2年間、沖縄県女子師範学校・沖縄県立第一高等女学校で教鞭をとることになる。
沖縄への赴任が首里城の運命も変える!?琉球の魅力にとりつかれた鎌倉芳太郎
『ひめゆり』の名で知られる沖縄県女子師範学校。鎌倉芳太郎は新米教師としてこの学校に赴任した。見るもの聞くもの食べるもの、沖縄のすべてが新鮮で芳太郎は魅了された。
中でも、芳太郎を強烈に惹きつけたのが「首里城」だった。
元々、画家を目指していた芳太郎。2年間という限りある時の中で、首里城やその周辺の琉球王朝時代の建物などを詳細に写し取り琉球文化を心に刻みつけていく。
そして琉球の調査を行う中で当時最先端のガラス乾板と呼ばれた写真技術の素晴らしさを知る。芳太郎が2年間の沖縄生活で撮影した写真は200枚にも及んだ。
沖縄で生活が終了 琉球をこよなく愛する男が目にしたものとは・・・
こうして、2年間という任期を終え愛する沖縄を後にした芳太郎。東京美術学校に戻り 琉球研究の成果を学校にプレゼンしなんとか調査を継続する道を探っていた。
そんなある日のことだった…
「ありえない! 急がなくては! 首里城が危ない」
走る鎌倉芳太郎。首里城を襲った最大のピンチとは!?
番組では時代を超えて首里城を救った強者たちの物語を、沖縄テレビのアーカイブ映像や再現ドラマを交えて振り返る。
『オキナワ強者(チューバー)列伝』
8月4日(火)よる8時放送<沖縄テレビ>
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