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松永 多佳倫

松永 多佳倫

エナジック富盛恭大がプロ志望届を提出!沖縄尚学との激闘で味わった悔しさ、俊足巧打の逸材が描く未来

3年連続夏の決勝敗退、レギュラーで2年連続涙を飲んだエナジック富盛恭大は「あの悔しさはもう二度と味合わない」

高校野球はやっぱり、何と言っても夏だ。
春の選抜高等学校野球大会(春の甲子園)もあるが、3年生最後の夏の大会こそが高校野球最大の醍醐味でもある。

夏の高校野球は日本の風物詩として1世紀以上も定着し、普段忙殺を理由に郷土愛を忘れている人たちも毎年7月中旬からの1カ月間は出身校または生まれ故郷の高校の行く末を心から見守っている。

“夏の大会3年連続決勝敗退”。
文字にして12文字だが、これがどれだけ残酷かつ悲劇的なことか、もはや説明する必要もなかろう。

2024年夏の沖縄県大会決勝戦 興南4対3エナジック
2025年夏の沖縄県大会決勝戦 沖縄尚学9対1エナジック
2026年夏の沖縄県大会決勝戦 沖縄尚学4対3エナジック

「悔しいってもんじゃないですね。最終回に末吉(良丞)から意地のセンター前タイムリーを打って1点差に詰め寄りましたけど……」

エナジックのトップバッター俊足巧打の身長183センチ、体重70キロの富盛恭大は、絞り出すように口を開いた。

富盛の高校3年間の夏は、すべて決勝で負けているのだ。
県大会決勝の日からおよそ3カ月経つが、まだ悔しさは脳裏にしっかりと刻まれている。

そもそも富盛がエナジックに入ったきっかけは、知念中学時代にヤングリーグの『安仁屋ヤングスピリッツ』でプレーしていたのを当時のエナジック神谷嘉宗監督が見ていて声をかけたところから始まる。

「1年夏は自分も含めて同期の誰もベンチ入りしてないです。そもそも1年生はまず練習にもあまり参加できず、入部したての頃は応援練習だけです。夏の大会が終わってはじめは地区の新人戦のメンバーに選ばれてなかったんですけど、急に呼ばれて新人戦に出てから新チームでもレギュラーに抜擢されたって感じです」

高校1年秋季大会から富盛は四番としてチームを引っ張りエナジックは順当に勝ち進む。九州大会への出場権をかけた準決勝でウェルネス沖縄と対戦し4対1で勝つ。そして、決勝ではのちに因縁となる沖縄尚学と対戦し8対5で敗れた。

目次

高校2年夏の決勝戦末吉良丞の球が過去最高にキレッキレッ

3年連続夏の決勝敗退、レギュラーで2年連続涙を飲んだエナジック富盛恭大は「あの悔しさはもう二度と味合わない」

九州大会一回戦は好投手・早瀬朔(現・阪神)を率いる神村学園と対戦し、富盛は2安打を放ち2対1で辛勝。選抜甲子園選定の鍵となるベスト4をかけた二回戦の壱岐(長崎)戦では3安打の猛打賞を放ち、七回コールドの9対1で圧勝した。勢いをつけたエナジックは準決勝の柳ケ浦を4対2で破り、決勝戦の相手は県大会と同じ沖縄尚学。雪辱を果たすつもりでエナジックは挑むが、沖縄尚学の投手力に太刀打ちできず、富盛は2安打を放つものの6対2で敗れる。しかし、選抜甲子園出場はほぼ手中にした。

富盛は、九州大会で15打数6安打の打率4割と打ちまくった。

選抜甲子園に出場したエナジックは、企業母体を学校名とした通信制課程もあるスポーツ高校(野球部は全日制)であることや、ノーサイン戦法を採用していることで大いに注目される。初の甲子園でメディア攻勢もあり緊張するかと思われたエナジックはのびのびとプレーし、一回戦の至学館(愛知)戦を8対1で勝利した。ノーサイン戦法が全国で通用したということでメディアはさらに盛り上がり、二回戦で当たる強豪・智辯和歌山戦も注目されるが、9対4で敗れる。富盛の甲子園の成績は、7打数2安打、打率0.286だった。

高校3年間で、公式戦五度の決勝戦の相手が沖縄尚学

3年連続夏の決勝敗退、レギュラーで2年連続涙を飲んだエナジック富盛恭大は「あの悔しさはもう二度と味合わない」

沖縄に戻ったエナジックは、春夏連続甲子園出場に向けて始動した。

6月中旬から開催される日本で一番早い夏の県大会に向けて、富盛は万全の状態で調整し大会に臨む。エナジックは選抜甲子園で勝った1勝が選手にとっても大きな自信と糧となり、順当に決勝へと勝ち上がっていく。そして決勝でまたもや沖縄尚学と対戦する。これで公式戦三度目の対決で、すべて決勝戦という神様のイタズラかのような注目のカードとなった。

淡々と受け答えしていた富盛が珍しく感情をほんの少しだけ顕(あらわ)にして話す。

「高2ということもあって、一個上の先輩たちの最後の夏の大会の試合だったのもあるんですけど、同学年の末吉が先発し、インコースに食い込んでくるスライダーのキレがすごすぎて一個上のプロ注のピッチャーかのようにまったく手が出ないレベルでした」

試合後のエナジックの名将・神谷監督も「末吉にこれほどまでにいいピッチングをされたら勝てない。
相当鍛え上げられている」とお手上げ状態だった。高校2年の県大会準決勝・興南戦は末吉自身がピークだったと言うほど、スピード、キレ、強さ、どれを取っても申し分ないボールを見せつけた。六回からのリリーフ登板でこの試合で初めてのMAX150キロを出し、4イニングを完璧に抑え込んだ。

そして末吉は翌日のエナジックとの決勝戦で先発し、初回に1点を奪われたものの圧倒する投球内容でエナジック打線に付け入る隙を与えずに9奪三振、散発4安打完投。甲子園初戦の金足農業戦では12奪三振の完封に仕留めたが、本人曰く甲子園ではすでに本調子ではなかったというだけに、エナジックとの決勝戦は万全の状態で投げられた高校最後の一戦だったのかもしれない。

結局、エナジックはこの年の秋季大会も準決勝で沖縄尚学と当たり5対2で敗戦。最後の夏の決勝戦では4対3とあと一歩まで詰め寄りながら涙を飲んだ。

富盛の高校野球は、1年夏以外の甲子園に直結する公式戦で1年秋、2年夏秋、3年夏の四度(決勝三度、準決勝一度)とも沖縄尚学が大きな壁となって立ちはだかった。決勝戦だけを見れば五度(1年秋の大会、秋季九州大会、2年夏、3年春季九州大会、夏の大会の計1勝4敗)も戦ったという高校3年間だった。

長打も打てる俊足巧打の日本を代表するトップバッターを目指す

3年連続夏の決勝敗退、レギュラーで2年連続涙を飲んだエナジック富盛恭大は「あの悔しさはもう二度と味合わない」

1年秋からずっと四番を張っていた富盛だったが、最後の夏の大会では準々決勝からトップバッターで出場する。
「元々は四番だったんですけど、最後の夏の準々決から一番になりました。監督に突然言われたんですが、別に嫌ではなかったです。
四番に比べると一番バッターって自分で好きなことできるから自分は合ってると思います。
四番だとランナーを置いて打席に入ることが多いので、場面によってはチームバッティングしなきゃいけない。一番は最初から自分のやりたいことができますから」

出塁することだけを念頭に自由度が高いトップバッターは自慢の足を生かせるし、自分には合っていると富盛は自信ありげに言う。
「春に怪我をしたため夏前までは大学進学を視野に入れてました。プロへは行ける時に行ったほうがいいと言われますけど、自分的にはまず力をつけないとどうにもならないし、上に行っても通用しなかったら意味がないと思うので自分を磨き上げてからプロへ行こうと大学進学を考えていました。
でも夏の大会を経てプロ志望届を出しました。チームメイトの(福地)楽偉門から『プロ志望届出す』って聞いて、自分も力的には負けてないしやれるという自信があったので迷いもなく出しました」

富盛は、仲間がプロ志望届を出したから触発されたのではなく、あくまでも自信があったからと強調する。俊足巧打で長打も打てるのが自分のスタイルと自信満々に話す富盛は、トップレベルの世界で揉まれてしっかり身体を作り、一日でも早く一軍に上がって長く活躍する日を夢見る。

夢は見るものではない、掴むものだと言いたげに富盛の目は、未来を見据えてしっかりと強い輝きを放っていた。

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