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OTV制作部

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竹内 和三郎 ~大胆不敵!琉球政府に腕を買われた交渉人~【オキナワ強者(チューバー)列伝】

1972年5月15日、沖縄は日本復帰。あれから50年という歳月が流れた。
戦後、アメリカの占領統治下での苦難を乗り越え「復帰」にたどり着いた沖縄。
世紀の「世替わり」の裏側では、時代を切り拓いた「強者(チューバー)」がいた!
「世替わり」という激流の中で奮闘した「強者」の姿にスポットを当てる!

※チューバー:琉球語で「強い」「強がる」「気が強い」「勇気がある」の意

今回は「食」をテーマに、沖縄県民の食卓を守った4人の男を紹介!
はちゃめちゃでパワフルな男たちの物語!

「食」の強者(チューバー)1人目は、竹内和三郎!!

竹内和三郎

県内有数の米の卸売業者・沖縄食糧の創業者。
戦後、荒廃する沖縄で米軍から食糧配給業務を委託されたことをきっかけに、県民に食糧・物資を調達する、いわば「配給のプロ」として当時名を馳せた。
こうした経歴が現在の沖縄食糧を設立するに至った彼の原点となっている。

なりふり構わない竹内の大胆な行動が、多くの県民を「飢え」から守った!

1948年、竹内和三郎41歳のできごと。

当時、沖縄県民は米軍からの配給物資で日々食料を食いつないでいるような状況だった。
物資が那覇港や勝連港に到着し、港湾労働者が荷下ろしをしていたが、重労働のわりに低賃金で劣悪な待遇だったことから沖縄県民の労働者のサボりや欠勤が横行した。

これに米軍は大激怒!!配給を無期限停止すると宣言し労働者らを糾弾した。
港湾労働者たちの楽しみは、腹いっぱい米が食べられること。
港で働けば空腹から解放されると思っていたが、現実は違っていた。

しかしそうもいってられない。配給が止まる…それは県民にとって餓死を意味していた。

当時、米軍からの配給物資を貯蔵する天願中央倉庫長だった竹内和三郎(41歳)。
竹内は意を決し、米軍に無許可で300俵の米を労働者に送り、目いっぱい働くよう情けをかけた。
すると停滞していた荷下ろし作業は、たちまち活発に動き始めた。
その成果を米軍も認め、予定していた配給停止を解除したのである。

米政府担当官は、竹内の独断行動に目をつぶるだけでなく、適切な処置であったと木箱いっぱいに入った煙草を竹内にプレゼントするなど、その功績を称えたのだった。

まさに竹内の大胆な決断と行動が、多くの県民を飢えから救ったのだ。

再現ドラマ出演 竹内和三郎役…ベンビー
再現ドラマ出演 竹内和三郎役…ベンビー

そのほか、竹内和三郎のチューバー列伝はこちらをご覧ください。

「アメリカ世」から「ヤマトの世」へ!「復帰」という時代の大転換の荒波の中、様々なジャンルで沖縄のために奮闘した「強者(チューバー)」たちの熱い物語を、沖縄テレビが記録したアーカイブ映像や、証言をもとにしたドラマで振り返る!

オキナワ強者(チューバ―)列伝 OTV 沖縄テレビ

沖縄県復帰50年特別企画「オキナワ強者列伝」

第二回「食」の強者
2022年4月19日(火)19時から沖縄県内のテレビ8チャンネルにて生放送!

>番組情報はこちら!

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