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小渡 幸信 ~究極の塩づくりを体現する、唯一無二の製塩職人~【オキナワ強者(チューバー)列伝】
1972年5月15日、沖縄は日本復帰。あれから50年という歳月が流れた。
戦後、アメリカの占領統治下での苦難を乗り越え「復帰」にたどり着いた沖縄。
世紀の「世替わり」の裏側では、時代を切り拓いた「強者(チューバー)」がいた!
「世替わり」という激流の中で奮闘した「強者」の姿にスポットを当てる!
※チューバー:琉球語で「強い」「強がる」「気が強い」「勇気がある」の意
今回は「食」をテーマに、沖縄県民の食卓を守った4人の男を紹介!
はちゃめちゃでパワフルな男たちの物語!
「食」の強者(チューバー)3人目は、小渡幸信!!
郷土料理の味とウチナーンチュの健康を塩づくりで支えた、『粟国の塩』の開発者。
胃腸が弱く、体調を崩しがちだった自身の経験から、塩が健康な体づくりには
必要な要素だと感じ、塩の研究に着手。52歳の時、粟国島に研究所を設立。
独自の理論を持ち、職人ならではのこだわりで体に良い塩を開発した。
生涯をかけて追求した究極の塩。小渡が訴える、「食育」の大切さ
沖縄本島の北西およそ58キロメートル離れたところに位置する、南北僅か4キロメートル程の小島、粟国島。
人口わずか800人弱の島は、工業、農業共に盛んではなく、環境汚染が無い島。
島の周りにはサンゴ礁が広がり、海水はコバルトブルーに透き通っている。
小渡が塩づくりの地に粟国島を選んだ理由がそこにある。
最も重視するのは良質な海水がとれること。
『粟国の塩』は、その海水のみを原料として作っている。
小渡が20数年の研究を経て辿り着いた塩づくりにおける一つの解…。
それは、海水のミネラルバランスと同じバランスでミネラル分を含んだ塩が
人間の体に最も適しているということだった。
小渡が常々口にしていたのは「人間の体内には小さな海がある」という言葉だ。
そのため、海水から作るバランスの良い塩を摂ることにより、体調を改善するだけでなく
人間としての治癒力も活発にしたいというのが、小渡の思いなのだ。
ファストフード文化全盛の昨今、インスタント食品、外食などにより子どもたちの脂肪分摂取量、糖分摂取量、塩分摂取量は増えてきている。
過度な減塩志向を迫るのではなく、添加物の摂取に気を配り、ミネラルバランスの良い塩を取り入れる。
良質な「食」に子どもたちを導くには、食に対して興味を引く教育、すなわち「食育」が必要だと小渡は訴える。
粟国の塩で行っている、昔ながらの塩づくり体験、そこでできた塩で子どもたちが色々な食材を調理し「食」を身に着ける試みも、小渡が体現する「食育」の一環である。
そのほか、小渡幸信のチューバー列伝はこちらをご覧ください。
「アメリカ世」から「ヤマトの世」へ!「復帰」という時代の大転換の荒波の中、様々なジャンルで沖縄のために奮闘した「強者(チューバー)」たちの熱い物語を、沖縄テレビが記録したアーカイブ映像や、証言をもとにしたドラマで振り返る!
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