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OTV制作部

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照屋敏子~女海賊と呼ばれた伝説の起業家~【オキナワ強者(チューバー)列伝】

1972年5月15日、沖縄は日本復帰。あれから50年という歳月が流れた。
戦後、アメリカの占領統治下での苦難を乗り越え「復帰」にたどり着いた沖縄。
世紀の「世替わり」の裏側では、時代を切り拓いた「強者(チューバー)」がいた!
「世替わり」という激流の中で奮闘した「強者」の姿にスポットを当てる!

※チューバー:琉球語で「強い」「強がる」「気が強い」「勇気がある」の意

今回は「女性」をテーマに、さまざまな分野で活躍し県民に勇気を与えた女性3人をご紹介。
いかにして本土復帰前後の時代の変わり目を乗り越えてきたのか、3人の強者の苦難や葛藤、決断の物語を紹介します!
はちゃめちゃでパワフルな女たちの物語!

「女性」の強者(チューバー)1人目は、照屋敏子!!

オキナワ強者列伝#4 照屋敏子

照屋敏子は、1915年(大正4年)糸満生まれ。

戦後の沖縄で女性起業家として多くの事業を展開する。

マッシュルームの試験栽培にクロダイや車エビの養殖、メロンの栽培、水上レストランの経営など多種多様な事業を次々に興していった。

そのきっかけとなるのは、ワニ革製品を主に取り扱っていた”クロコデールストア”である。

伝説の起業家”照屋敏子”は女海賊と呼ばれていた!?

幼い頃に母を亡くした敏子は祖母のもとで生活、9歳のころには魚売りをはじめる。

16歳のころには初恋の人を追って海外に渡るなど、当時から敏子の行動力は人並み以上であった。

その恋は成就することなく終わってしまうが、パラオで小学生時代の恩師である照屋林蔚と再会し、結婚に至る。

その後沖縄に戻るが29歳のころ、10・10空襲が那覇を襲い、九州へ疎開し、終戦を福岡で迎える。

終戦直後の福岡には故郷沖縄に帰る事が出来ず職にも就けないウチナーンチュが溢れていた。

その様子を目の当たりにした照屋敏子は、そんな男たちをまとめ、「沖ノ島漁業団」を結成。

沖縄独特のアギヤー漁を活かし、当時の日本で最大規模の漁業団に成長!

しかし、地元の漁業団との軋轢やアギヤー漁が禁止されたことで結成から3年ほどで沖ノ島漁業団は解散。

敏子は海外での水産事業にも着手するのだが、これもまた政治の混乱で長く続かず、無一文同然になってしまう。

ついに沖縄に帰る事を決断。

そんな敏子を救ったのは3つのワニ革のハンドバッグだった。

強者列伝#4 照屋敏子 ナツコ
再現ドラマ出演 照屋敏子役…ナツコ

パワフルでバイタリティに富む照屋敏子。そんな彼女の信念とは?何が彼女を突き動かすのか?
そのほか、照屋敏子のチューバー列伝はこちらをご覧ください。

「アメリカ世」から「ヤマトの世」へ!「復帰」という時代の大転換の荒波の中、様々なジャンルで沖縄のために奮闘した「強者(チューバー)」たちの熱い物語を、沖縄テレビが記録したアーカイブ映像や、証言をもとにしたドラマで振り返る!

オキナワ強者(チューバ―)列伝 OTV 沖縄テレビ

沖縄県復帰50年特別企画「オキナワ強者列伝」

第四回「女性」の強者
2022年6月21日(火)19時から沖縄県内のテレビ8チャンネルにて生放送!

>番組情報はこちら!

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