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OTV制作部

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島ちゃび(離島苦)解消に心を砕く 政治家・山中貞則

台湾師範学校出身の山中貞則氏は、同く師範学校で教鞭をとっていた屋良朝苗氏を師と仰いだ

「国政から沖縄に寄り添った政治家はだれか?」人によって思い浮かべる顔は様々だろう。その中でも故・山中貞則氏は稀有な存在と言えるのではないだろうか。
復帰前、佐藤栄作内閣で総理府総務長官を任された山中氏は、琉球政府の屋良朝苗行政主席(当時)と共に、課題解決に奔走した。

島ちゃび(離島苦)解消に奔走する

復帰前、すべての有人離島で住民の声に耳を傾けた 写真提供:平安座自治会

「島ちゃび」という言葉をご存じだろうか?
沖縄本島と比べて、医療・交通・教育等、さまざまな面で負担を強いられる離島ならでは苦しみを指す。
復帰前、山中氏は本土との格差是正を求める沖縄本島側の要望も対応もしながら、48ある有人離島を視察し、地域住民の要望に耳を傾けたという。このうち伊平屋島の住民は、伊平屋島と野甫島を結ぶ橋の建設を要望した。島と島の間の距離はおよそ300m。干潮時に徒歩で渡ることができたが、海が荒れると、文字通り、ライフラインが遮断された。何もかも当たり前ではない、離島住民の声に寄り添えるよう、山中氏は即断即決で橋の建設を決めた。
復帰から7年後の1979年、伊平屋島と野甫島を結ぶ「野甫大橋」が完成。歓喜の渦に山中氏の姿があった。

伊平屋島と野甫島 干潮時に海を歩いて行きかう時代があった
島民の悲願「野甫大橋」は1979年に開通 写真提供:伊平屋村役場
伊平屋島の住民と踊りながら橋の完成を祝う 写真提供:山中貞則顕彰館
伊平屋村役場前に設置されている山中貞則氏の胸像

立ちはだかる「ドルショック」 住民の資産を守るため矢面に立つ

復帰を目前に控えた1971年、「ドルショック」または「ニクソンショック」と呼ばれるアメリカのドル防衛策が世界中を震撼させた。この政策により1ドル=360円の固定相場が崩れ、ドルの価値が急落、年末には308円になった。
沖縄の経済で使用されていた「ドル」が復帰に伴って「円」に通貨が切り替わった時に沖縄の人々の資産が減ってしまう。山中氏は政府内で粘り強い交渉を続け、沖縄の住民が保有している「ドル」を¥360円の価値で交換させることを認めさせた。

10月2日(日)放送「山中貞則~耕せども尽きず」の一幕

沖縄が本土に復帰してから今なお続く「特別措置」「税制」の多くは、山中氏が礎を築いた。
鹿児島県出身の政治家がどうして沖縄のために尽くすのか?
沖縄テレビには生前の山中氏の肉声を納めた貴重な映像が残っている。
インタビューで山中氏は「原点は島津(薩摩)の琉球侵攻と強調する。
反大和、反島津(鹿児島)の底流がある沖縄に対し、「償いの使者」として向き合うことで、共に乗り越えていきたいという思いがあったと語っている。

生涯沖縄と向き合い続けた 写真提供:山中貞則顕彰館

沖縄県内には故・山中貞則氏の顕彰碑がある。
沖縄市から北谷町にぬける「国体道路」の別名は「やまなか通り」もその名残と言えるだろう。
そして沖縄県唯一の「名誉県民」であることも意外と知られていない。沖縄と向き合う政治家はどうあるべきか?

復帰50年の節目に改めて考えていきたい。

山中貞則~耕せども尽きず
放送:10月2日(日)13:00~13:55放送(沖縄テレビ)

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