公開日
OKITIVE編集部

OKITIVE編集部

「ユイユイ」の山川まゆみさんが語る、全国デビュー当時の思い出と今後やりたい活動のこと。

山川まゆみさんがゲスト出演したゴリん家で語やびら(OTV沖縄テレビ)」での一コマ

いまから30年ほど前、テレビから流れる「ユイユイユイ!ユイユイユイ!ユイマール」が耳に残り、つられて口ずさんでしまったのは筆者だけではないと思います。ヘーシや指笛、三線が軽快に奏でる「ユイユイ」を歌ったのは琉球民謡の歌い手、山川まゆみさんです。わずか16歳で全国デビューし、沖縄ブームに乗って仕事に学業にと忙しい生活を送っていたそうです。今回、新春特番バラエティ「ゴリん家で語やびら(ゴリんちでかたやびら、OTV沖縄テレビ)」のゲストにお越しくださった山川さんに、音楽との出会いや今後の活動などをお聞きしました。

※注釈:「語やびら」はウチナーグチ(琉球語)で「語りましょう」の意味

目次

弾くものは、そろばんから三線へ

「ユイユイ」で全国デビューした当時について語る山川まゆみさん
琉球民謡の歌い手、山川まゆみさん

――まずは、山川まゆみさんの音楽のキャリアについてうかがいます。音楽を始めたきっかけはなんですか?

山川まゆみさん(以下、山川)「音楽を始めたきっかけは、身内のお祝いごとでした。沖縄の結婚式やお祝いのときには、必ず歌と三線がついてきます。もともと私の母が琉球民謡がとっても大好きで。母は食堂を経営していたものですから、よくUSENで聞いていました。

あるとき、母から『身内のお祝いがあるから、まゆみ、民謡を3曲くらい習って余興して。』と言われて。そのころの私は琉球民謡を知りません。『やったことがないのに、いまから習ってみんなに見せるの?』と驚きました。そんなきっかけで習いに行きました。

だから私の初舞台は余興です。お客さんはみんな身内だから、すごい拍手喝采。とてもいい初舞台になりました。子どもの私も『こんなにおひねりがもらえるの!?拍手ももらえるの!?』ってとっても嬉しくて。それからいまに至ります。」

――初舞台がとても楽しい経験だったのですね。これはおいくつのときのエピソードですか?

山川「12、3歳かな。中学1年生に入る前だったと思います。その余興が終わったあと、母に『まゆみはそろばんもやっているし、ふたつも習い事に行かせられないから、もう民謡はやめていいよ。』っていわれました。初舞台で琉球民謡が楽しくなった私は、母に『え~!卑怯!』って返して。幼稚園から続けていたそろばんは、あっさりやめて三線の道に進みました。」

多くのチャレンジを重ねて巡り合った「ユイユイ」

――お母さんの「やってごらん」をきっかけに、その後は山川さんの意志で音楽の道に進んだということですね。

山川「はい。そこから私の師匠の上江洲由孝先生にお弟子さん入りして、先生にプロデュースしてもらいました。あのころ三線をやっている子どもは珍しく、由孝先生は『この子を輝かせるにはどうすればいいだろう?』って考えたそうです。

当時はいろんな琉球民謡大会やのど自慢大会などに出ていました。それがきっかけで沖縄県内企業のテレビコマーシャルのお話をいただいたんです。さらに、そのコマーシャルを見た知名定男先生が『本土復帰20年記念にユイユイという曲を作るから、これをまゆみに歌わせてくれないか』って由孝先生のところにきて。

由孝先生のプロデュースのもと、いろんな大会にチャレンジさせてもらって、コマーシャルに採用されて、それを見た定男先生の目にも触れて。いくつものタイミングが繋がって、『ユイユイ』に巡り合えたんです。」

笑顔が素敵な山川まゆみさん

――山川さんにとって運命の曲となった「ユイユイ」は、1992年にリリースされました。子ども向け番組「ひらけ!ポンキッキ」で聞いたことを私も覚えています。あのころは全国デビューする沖縄出身タレントさんや歌手の方が多かったですね。

山川「私は安室奈美恵さんたちと同じ、本土復帰20周年の年に全国デビューしました。当時、沖縄を題材とした『ユイユイ』が全国のテレビで流れたのは、とても大きな出来事だったそうです。あのころ私は高校1年生。沖縄に住みながら東京でレコーディングをしてまた帰ってきて、撮影があったら東京に行って…と活動していました。

始めのころはめちゃくちゃ緊張して、レコーディングなのに喉が閉まって声も出なくて、とにかくたいへんでした。東京のコーラスの子たちは小学生なのに年上の私よりも身長が高くて、歌もうまくて、私は萎縮していました。そんな私に定男先生は『大丈夫。上等だから、上等だから。』ってやさしく接してくれて。

無事にレコーディングが終わったあと、定男先生に『そういえば、まゆみは何歳か~?』って聞かれたんです。そこではじめて年齢を伝えました。すると定男先生が『え~っ、高校生?!ひらけポンキッキは子ども向けの番組なのに!年齢を知ってたらお願いしなかった!小学生の番組だから小学生を連れてきたつもりだよ』って(笑)

私、童顔だから定男先生は小学生だと思っていたみたいで。でも『コーラスの子たちを見ろ。まゆみより背も大きいし、まあ大丈夫か』って、そのままリリースすることになりました。ほんとにラッキーだったと思います。童顔に救われました(笑)」

――10代で全国的に有名になり、お忙しくされていたと思います。学校と音楽活動の両立はいかがでしたか?

山川「高校3年間はほんとに忙しかったですね。学業とお仕事の両立が厳しくて。学校なんて半分も行けなかったんじゃないかなぁ。でも先生がとても応援してくださって。普通は学校のなかに車の乗り入れは出来ない約束でしたが、『忙しいんだし、特別にいいよ~』っていってくださって。

そうやって学校が終わる時間になると車で迎えにきてもらって、移動しながらお弁当を食べたり、髪を結ったり。県内で1日7、8回もステージで歌ったことも。ありがたいことに引っ張りだこで、まるでテレビのなかのアイドルのスケジュールでした。

そのころの沖縄で、私のような学生はいなかったんじゃないかな。同級生は誰も三線をやっていなかったし、もしたくさんいたら、私はそのなかのひとりだったかもしれませんね。そのあと県内の大学に進学して、忙しくしながら三線を続けました。」

今年もこの先も歌い続けたい

歌を披露する「ユイユイ」の山川まゆみさん

――これからもずっと沖縄で音楽活動を続けられると思います。いまやってみたいこと、目指したいことなどはありますか?

山川「基本は、若手育成をしていきたいです。琉球民謡や三線が弾ける子どもたちを育てたい思いがとても強くて。そして、いま自分がやっている『ゆいゆいシスターズ』、『島うた少女テン』の2つのグループが発展するよう活動したいですし。ゆいゆいシスターズに関しては、昨年2022年が結成30周年だったので、今年は30周年記念公演をやりたいですね。島うた少女テンも10周年を迎えていますが、コロナ禍で記念公演ができなかったんです。だからそっちもやりたいです。

それに、ゆいゆいシスターズは去年から4名体制で活動しているので、現在のメンバーで8枚目のアルバムを出したいんですよ。CDが売れない時代ですが、いまの4人の歌を形として残したいんです。」

――音楽の表現者として、2023年をどんな一年にしたいですか?

山川「コロナ禍で長く我慢をしてきました。だから2023年はずっと歌える環境作りをして、歌い続けたいんです。それが叶うよう、2023年も歌える舞台がたくさんあるようにと願っています。歌うことで、みなさんにパワーを与えられる自分でいたい。

この先のスケジュールもいくつか決まっていて、県外だと1月は北海道に、ゴールデンウィークには岡山へ行く予定です。お仕事のお話をいただけて、ほんとにうれしい限りです。がんばります。」

あなたの「だから沖縄が好き」とは?

――最後の質問です。沖縄生まれ、沖縄育ちの山川さんにとって「だから沖縄が好き」を教えてください。

山川「では、私の大好きな言葉『ゆいまーる』を。ゆいまーるとはみんなで助け合う、一緒にがんばるという意味。この言葉を大切に、これからも大好きな沖縄で歌を続けていきたいます。」

――山川さんらしい言葉を書いていただきました。本日はありがとうございました!

山川まゆみさんの「だから沖縄が好き」
山川まゆみの「だから沖縄が好き」

あわせて読みたい記事

HY 366日が月9ドラマに…

あなたへおすすめ!