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東良恒~空路のパイオニア~【オキナワ強者(チューバー)列伝】
1972年5月15日、沖縄は日本復帰。あれから50年という歳月が流れた。
戦後、アメリカの占領統治下での苦難を乗り越え「復帰」にたどり着いた沖縄。
世紀の「世替わり」の裏側では、時代を切り拓いた「強者(チューバー)」がいた!
「世替わり」という激流の中で奮闘した「強者」の姿にスポットを当てる!
※チューバー:琉球語で「強い」「強がる」「気が強い」「勇気がある」の意
好評につき年末に一夜限りの復活!テーマは「観光」
戦後、荒廃した沖縄が日本屈指のリゾートアイランドに成長するには多くの困難があった。
米軍統治下や海洋博ショックなど、さまざまな難局を打破してきた強者たちの熱い物語!
強者(チューバー)2人目は、沖縄の空路を切り開いた東良恒!!
1930年石垣島大浜生まれの東良恒。
戦後1947年に本島へ渡ると沖縄外国語学校で英語を学ぶ。
そこで出会ったのは、ともに沖縄の空路を切り開くことになる盟友の宮里政欣。
学校卒業後、別の道に進むことになるのだが、ともに英語を活かす職に就いたことで取引先の関係となり、より一層親交を深めることになる。
沖縄の空を切り開く!
会社は違えど、ともに那覇空港で業務にあたっていた東と宮里。
ある日、東は沖縄旅行社から誘いを受けて転職。その翌年には宮里を沖縄旅行社へ誘った。
離島出身の東は、離島の空路を確保したいと考えあるプロジェクトに挑戦する。
そのプロジェクトこそ沖縄の島内航空を切り開く一大プロジェクトだった!
”今日のお客を喜ばす”その言葉をモットーに先見の明と行動力で沖縄観光を発展させた東良恒。
「アメリカ世」から「ヤマトの世」へ!「復帰」という時代の大転換の荒波の中、様々なジャンルで沖縄のために奮闘した「強者(チューバー)」たちの熱い物語を、沖縄テレビが記録したアーカイブ映像や、証言をもとにしたドラマで振り返る!
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