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沖縄の旧暦行事「ウガンブトゥチ」 ~仏壇持ち家庭の窓から~
読者のみなさん、新年あけましておめでとうございます。ライターの真境名育恵(マジキナイクエ)です。
2023年は生まれ年の干支・卯年ということもあり、なんと私は年女!
「干支一回り」という言葉が示すとおり、年女は「満年齢が12の倍数の女性」を指します。
つまり私、次の年女を迎える頃には“還暦(60歳)”なんですねー。人生100年といわれる時代、足腰を鍛えつつ生涯現役をめざして精進しますので、今年もよろしくお願いいたします。
さて、今回から沖縄の旧暦にそった年中行事について、「仏壇持ちの家」に生まれた筆者自身の経験も交えながら綴っていきます。ちなみにサブタイトル「~仏壇持ち家庭の窓から~」は、35年間にわたり愛されている紀行番組「世界の車窓から」へのオマージュだったりします。
それではさっそく、沖縄の年中行事「ウガンブトゥチ」をご紹介いたします。
目次
「ウガンブトゥチ」とは?
沖縄では月の満ち欠けを基準にした「旧暦」に沿った年中行事が存在します。この沖縄の年中行事において欠かせないのが、台所の神様・火の神(通称ヒヌカン)です。
ヒヌカン(火の神)は現在も多くのご家庭で台所におまつりされている一家の守り神で、仏壇持ち一家に生まれた私にとっても身近でポピュラーな神様です。
そんなヒヌカン最大のお役目ともいえる旧暦の年中行事が、今回ご紹介する「ウガンブトゥチ(御願解き)」です。
御願を解くという名の示すとおり、ウガンブトゥチは「かけた願いをいったん解除する」という目的で行われます。沖縄では、願いごとは「一年ごとに更新」するのが必要だと考えられてきたようです。一年の間の年中行事でさまざまな願掛けをしてきた神仏をあらためて拝み、感謝をささげます。
いつやるのか?(旧暦で毎年12月24日)
「ウガンブトゥチ」は毎年、旧暦の12月24日に行われるウガミ(御願)で、2023年は新暦1月15日に行われます。“ヒヌカンの昇天”とも表現されるウガンブトゥチは、一年間の家族の行いを報告するために天へ昇るとされています。
この日は、ヒヌカンにお守りいただいたおかげで一年を無事に過ごせたことを感謝するとともに、天の神様には家族の善い行いだけを報告し、決して悪い報告はしないのが習わしです。
また、ヒヌカンをおまつりしている場所を清掃し、道具類もきれいにする日でもあります。ふだんはできないウコール(御香炉)の掃除が解禁される、年に唯一の日なのです。ウコールの掃除は、私の生家や参考文献には旧暦12/24とありますが、12/30に行うご家庭や地域もあるようですね。
お供えもの
ウガンブトゥチでは神様へのお供えものを準備します。
地域や家庭によって内容が変わるかもしれませんが、私の幼い頃はこのような内容だったと記憶しています。
・ヒラウコウ(線香)
・お酒(泡盛)
・お塩
・お水
・お米(炊いていない生のお米)
・ウブク(炊いたごはん)
・ウチャヌク(三段重ねの白餅)
・いつものお供えもの(果物など)
・シルカビ(書道用の半紙を切り分けたもの。三枚一組。)
お供えものを入れる器はお酒で清めてから使います。
並べ方やお餅の重ね方にも決まりがありますが、それも地域や家庭によってさまざまな方法がありそうですね。
私が経験したウガンブトゥチ
幼少期、ウガンブトゥチでの私の役割は、ウコールを掃除することでした。
私は子ども心ながらに、この作業が大好きでした。ふだん触らせてもらえないウコールの掃除をするということは、私たちがいつも願掛けしているヒヌカンさんの“住処”を掃除させていただいている気持ちになるからです。
家族の集うリビングに新聞紙を大きく広げて、その上にめったに触らせてもらえないウコールを置きます。ウコールには、家族が年中行事で願いをたてたヒラウコウ(線香)の数だけ、灰が山盛りになっています。
まず、家族の願いが昇華された貴重な灰を網じゃくしに盛り、ふるいにかけ、線香の残りカスや細かいゴミなどを取り除いていきます。
網じゃくしで数回、ふるいにかけた灰は手触りがなめらかで触り心地もよくなります。
そうやってまっさらきれいになった灰を、今度は掃除したウコールに大きなカレースプーンで盛り、表面を料理ベラでていねいに撫でて、すべらかな山にしていきます。
仕上がったら、その家のウフヤーアンマー(拝みをする女性)である祖母に渡します。
祖母はウコールの汚れをチェックして、最後に盛った灰の頂点を料理ベラで整えてからヒヌカンを台所の定位置にお戻しします。
そして、線香、(ヒラウコウ)水、お酒(泡盛)、生米、シルカビ(習字用紙)を準備し、ヒラウコウを15本たてて火をつけ、ヒヌカン上天の口上(拝願)を唱えます。
拝みをしている祖母が
「見てごらん。線香の火が勢いよくパチパチと燃えている。きっとヒヌカンさんが『きれいにしてくれてありがとう』と喜んでいるって、私たちに報せているんだよ。」
と目を輝かせながら話していた様子が、今でもとても印象に残っています。
私は、そんな祖母の様子をみながら、“暮らしに神が宿る”ことを自然と訓えられた気がします。
最後に。
私は“暮らしに神が宿る”と表現しましたが、これは霊感的なものではなく、あくまでも感覚的なものです。
日本には古来から“八百万の神(やおろずのかみ)”という考え方があります。
特に神様としてみたてた存在がなくとも、自然や生活のなかに神様はいて、我々人間はその見えない存在に守られて生かされているのだという感覚です。
私たちは、時に生きていく上でかかわっている他者を忘れて傲慢になることもあれば、小さな間違いを犯すこともあります。
しかし、一年間の家族のできごとを“監視して記録している”ヒヌカンさんに見られていると思うと、そうそう悪い行いはできません。あるいは少し道を外れていても軌道修正してくれる存在でもあるので、ヒヌカン信仰というのは内なる神(である自分)の存在を確認するうえでも大切なのかも・・・と思ったりもします。
今回は、年中行事から「ウガンブトゥチ」を紹介しました。
次回も、沖縄ならではの年中行事「ジュウルクニチー(十六日祭)」についてお伝えしたいと考えています。
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