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平良 いずみ

平良 いずみ

中山きくさんへの感謝のラブレター【平良いずみのよんな~よんな~通信】

平良いずみアナウンサー(OTV 沖縄テレビ)よんな~よんな~通信

目次

大切な人との別れ

この冬、大切な人との別れが訪れた。
2023年1月12日、94歳、命尽きるまで戦争体験を語り、反戦を訴え続けた元白梅学徒の中山きくさんが天国へと旅立った。
強くまっすぐな意思をもち、次の世代に命を手渡すため行動し続けた敬愛する大先輩。そんなきくさんへのラブレターを書かせてください。

2022年 白梅学徒の慰霊祭にて

きくさんと初めてお会いしたのは、2011年の慰霊の日、白梅学徒の慰霊祭でのことだ。
その日、私は糸満市摩文仁の丘で正午から行われる全戦没者追悼式典の取材を終えて、糸満市真栄里にある白梅の慰霊祭に向かった。夕方のニュースに原稿を間に合わせなければならなかったため、正直に言うと、あまり長居をする気はなかった。でも、慰霊塔の前に広がる光景に、きくさんの言葉に心を揺さぶられ、気づけば数時間を過ごしていた。

まず、私が心揺さぶられたのは、慰霊祭に若者の姿が多いということ。
関係者の話から、記憶を繋いでいくことに力を注いできたきくさんの想いが実を結んでいることを知った。
そして、きくさんの戦争で犠牲になった亡き友へのメッセージ「時代や暮らしがどう変わろうと、どんなに手を尽くしても失われた皆さま方の命はよみがえることはない・・・」と語りかける言葉が切なくも温もりがあり、私はぽたぽたと涙を落した。

後日、きくさんご本人から取材への礼状が届き、恐縮した。
私は「また取材をさせてください!」とラブレターを出したところ、「夏に女子学徒のウムイ展と題した写真展が開かれるので良ければ」との嬉しい返信をいただいたのだった。

2011年 取材時

2011年の写真展では、きくさんと交流を続ける高校生、大学生が一堂に会し、会場に平和のレクイエム(鎮魂歌)♪月桃♪が響いた。
若者たちに囲まれて歌うきくさんは、すっごく嬉しそうで、興奮気味にインタビューに応えてくださった姿が忘れられない。

2011年 女子学徒のウムイ展にて

チャーミングなきくさんとの思い出

その取材がきっかけで、きくさんの活動をサポートしているいのうえちずさんに声をかけていただき、平和学習の下見に同行した。
ちずさんは雑誌モモトの編集者としてきくさんに出会い、想いを託された人だ。今を生きる若者たちに、戦争を自分の事として感じてもらうためには、一人ひとりの沖縄戦の記憶、物語を伝えることも肝要と、きくさんが逃げ惑った場所を共に歩き、詳細な証言を記録しようとしていた。

下見の途中、お昼時間になったので、海の見えるレストランで、3人で食事をすることに。
和洋折衷の料理が並ぶブッフェスタイルのレストランでのこと。
野菜と魚を多くのせた私の皿を見たきくさんは、「あら、あなた 年寄りみたいな物ばかり食べるのね!」と茶目っけたっぷりに言い、3人で笑い合った。
ちなみに、この時83歳のきくさんのお皿にはこれでもかというほどお肉がモリモリのっていた。

茶目っ気たっぷりでチャーミングなきくさん

泣かない理由

その後もきくさんは、白梅学徒の記憶を伝えていくため出来うる限りのことをされた。
戦時中、学徒たちが辿った場所には説明板を設置。幼い子どもたちにも伝わるようにと絵本を製作。辺野古に新たな基地が造られようとしている時には、県民大会の壇上に立ち「戦争につながる新たな基地はいらない」と訴えられた。その折々に取材をさせていただいた。

辺野古新基地建設反対 県民大会にて

その映像を見返すと、人前で語る時、きくさんは常にまっすぐ前を向いて凛としている。
きくさんが感情的になったり、涙を流す場面を、私は見たことがない。
隣で活動を支えてきたちずさんは言う「きくさんは泣かないで喋るっていうことを徹底していた。特に戦争のことを話す時に、自分が感情的になってしまっては伝わるものも伝わらないから」と。

強い信念をもち感情を表に出さなかったきくさんが、心の奥底にある悲しみを言葉にしてくださったことがある。白梅の塔の前での取材の際、半世紀ちかく体験を語れない空白の時があったと前置きし、こう続けられた―――

「毎年、慰霊祭に子どもを連れて参加していた。その場で、亡くなった友達のお母さんが声をかけてくれるのが、本当に辛くて辛くて。もし自分の子が生きていたら、こうして可愛い孫が居たんだと思うでしょ。だから長い間、記憶を封印し語れなかったのよ」と。

語れなかった半世紀。
きくさんは人知れず泣いて、一生分の涙を流したのだろう。
語ることはどれだけの痛みを伴うものだったのだろう。

2012年 白梅の塔の前にて

みんなの胸で生きるきくさん

2020年2月、映画「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」の公開初日、朝一番の上映に合わせて、きくさんが駆けつけてくださった。
事前にお知らせをしていなかったので、その姿を客席に観た時、飛び上がるほど嬉しかった。

上映後、主人公の菜の花さんと一緒にお茶をご馳走になった。
菜の花さんの手をとり、きくさんは「私はね、平和は思うだけではやってこない、だから行動しなきゃと若い人たちに言ってきた。それをあなたは実践していて、私はただただ嬉しいの。ありがとう」と、ニッコリ笑った。
後日、きくさんから届いた手紙には「映画の勝手に応援団をしています!」というメッセージとともに、白梅同窓会の広報誌などに掲載された映画の推薦文が添えられていた。

年が明けた2023年1月12日、会社で仕事をしていた時に、きくさんの訃報に接した。きくさんの映像を見返したい衝動にかられたが、仕事が山積みで、その瞬間すぐに動けなかった。
きくさんへ恩返しがしたい。私にできることは映像に刻まれたきくさんのメッセージ、その生き様を番組として伝えること。でも、目の前の仕事を考えると、手を上げるかどうか躊躇してしまっていた。

その週末、菜の花さんの友人が、2年前から準備を進めてくれた映画「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」の上映会のため愛知県に向かった。そこでは、地元の小学6年生の子どもたちと平和について自由におしゃべりをする会も企画されていた。私はきくさんの訃報を伝える新聞を取り出し「きくさんという沖縄戦の語り部がいて、強くまっすぐな意思をもつ方で・・・」と、時間を忘れてきくさんの思い出話をしていた。

2023年1月 愛知県の小学校にて

続けて菜の花さんが
「きくさんが、本『菜の花の沖縄日記』の誤字を2箇所見つけてくださった。推敲を重ね、多くの人がチェックしても見落としていたのに、きくさんはすごい!それほどじっくり読んでくださったことが嬉しかった」と話してくれた。
多くの人の胸にきくさんは生きているし、感謝の気持ちを伝えたいと思っているのだと感じた私は、沖縄に戻ったその足で、きくさんの告別式に参列。黄色い鮮やかな紅型を着て、優しく微笑むきくさんの遺影に「番組を作らせてください」とお願いをし、手を合わせた。

きくさんの遺影

ドキュメンタリーの神様

番組を作ると決めたものの、目の前の仕事は待ってくれない。スケジュール表は、2週間先まで埋まっている。通常、1時間のドキュメンタリーを制作する時、取材は数ヶ月から数年、編集には1ヶ月以上を費やす。でも、今回は取材・編集合わせて動ける日数は10日程しかない。本当にできるのか、夜の編集室で少し弱気になっていた、その時、母の声が聴こえた気がした。
「出来るように、産んだぁー!」
と、アニマル浜口さんの「気合いだぁー」に負けないほどの熱量ある、喝!
すぐさま私は、「出来ます、やります!」と独りごちた(笑)。

2ヶ月前、私は母を亡くした。
女手ひとつで私と姉を育てるため働きづめだった母。どうやって時間を捻出したのか不思議でたまらないが、子どもの頃からの夢だったと30代で書道を、40代で空手を始め、いずれもコツコツと続けて気づけば師範免許を取得していた。そんな母は、私や姉が踏み出す勇気がなく躊躇している時に必ず言った「出来るように、産んだぁー!」と。
そう言われると・・・・・・
やるしかない!いつも母は強すぎるほどに背中を押してくれた(笑)。

そうして動き始めたら、
入社2年目の後輩・延総史記者が手をあげてくれて、心強い相棒を得た。聞けば彼は高校時代からきくさんと交流し、孫のように可愛がってもらい、きくさんと手をつないで歩く写真まであるという。

2014年 きくさんと高校時代の延総史記者

「ドキュメンタリーの神様」(東海テレビプロデューサー阿武野勝彦さんの言葉)が降りてきてくれたと思った。私たちは残された10日間で、きくさんから記憶を託された人に会いに行き、あふれるほどの想いを聞いた。1時間にどうやって収めよう・・・、気づけば嬉しい悲鳴をあげていた。

番組は無事、完成した。番組のエンドロールを観ながら私の目に浮かんだのは、天国できくさんが学友たちに囲まれて茶目っ気たっぷりにお話をする姿。友のために、その死を無駄にさせまいと、語り続けたきくさん。今きっと重たい荷物をおろして満面の笑みを浮かべられていることでしょうね。ありがとうござます、きくさん。あなたの優しさを 忘れない。
そして、番組を作らせていただいたことで、母を亡くした寂しさも和らぎました。
重ね重ね、ありがとうございました。

そして母よ、熱い喝!をありがとう。 もうすぐ、春ですね。

中山きくさん追悼番組 「約束~きくさん 平和のレクイエム~」
2023年2月23日(木)午後4時50分 放送(沖縄テレビ8チャンネル)
です。
ご覧いただけたら嬉しいです。

中山きくさん追悼番組「約束 ~きくさん 平和のレクイエム~」

2023年2月23日(木)午後4:50~沖縄県内のテレビ8チャンネルにて放送。

>番組情報はこちら!

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