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OTV報道部

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「国防」を背負わされ続けた街 レポート① ~シリーズ・名護市長選2022~

普天間基地の辺野古移設計画の「賛否」が常に争点となってきた名護市長選挙。
1999年に条件付きで移設受け入れを表明した岸本建男市長(当時)は、こう述べていた。
「沖縄県民が基地の移設先を自らの県内に求め、名護市民にその是非が問われていることについて、日本国民はこのことの重大さを十分に認識すべきである」
1997年の市民投票から間もなく25年、これまで6度にわたる市長選挙のたびに
「国防」を背負わされてきた名護市民。
市政運営は岸本建男氏から島袋吉和氏、稲嶺進氏へと受け継がれた。
かつて島袋氏は市議会与党議員の立場として、また稲嶺氏は名護市の幹部職員として、
共に岸本市長を支えた。2022年1月23日に投票が行われる市長選挙を前に歴代の市長2人に話を聞いた。

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島袋吉和氏
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稲嶺進氏

年表「普天間基地移設問題と名護市」
・1996年4月  橋本首相が普天間基地の5年~7年以内の全面返還を発表
・1996年12月 SACO最終報告で代替施設は「本島東海岸沖」に海上施設
・1997年12月 名護市民投票「反対票が過半数」
・1997年12月 比嘉鉄也市長が「海上ヘリ基地受け入れ表明」その後、辞職
・1998年2月  名護市長選挙 比嘉市長の後継・岸本建男氏が当選
・1999年11月 稲嶺県知事「移設候補地を名護市辺野古沿岸域」と発表
・1999年12月 岸本市長 「移設受け入れ」表明

米兵による少女暴行事件に端を発した県民の反基地感情、その憤りは頂点に達した。
沈静化を図るかのように日米両政府は、普天間基地を移設条件付きで全面返還すると発表、その代替施設の建設場所として名護市が浮上した。
97年には海上ヘリポート建設の是非を問う市民投票が行われ、結果は条件付き反対を含めて反対票が過半数を占めた。
上京した比嘉鉄也市長は橋本首相と面談し、市民投票の結果に反し移設受け入れと
自身の辞職を表明。

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名護市民投票開票シーン

「名護市民投票について」

<島袋氏>
熾烈を極めた“集票”合戦 「移設推進だったから、石を投げられた」
「97年の市民投票は必要なかったと思う。市議会与党・保守系は、市民投票はしてほしくないと。国防の問題をいち名護市が賛成・反対する必要はないと考えていた。
だけど、全体的に盛り上がっていった。子どもたちの前でも「基地反対」「基地反対」と  やるわけだから、純粋な子ども達からしたら、移設賛成の人には石を投げて、という行動もあった。私自身、宣伝カーの後ろに立ってて石を投げられましたから」

<稲嶺氏>
国の露骨な介入に辟易
「当時は那覇防衛施設局の職員が総出で、移設受け入れに理解を求めるため各家々をまわってね。パンフレットをもって一軒一軒まわってましたから。国の介入はもうすごかったですよ。あのころ容認派は、のぼりを持って名護十字路を行進したりね。その先頭に立ったのが、土木建設業界が中心だった感じがします」

辞職した比嘉氏の後継として当選を果たした岸本建男氏は
99年、7つの条件を付して移設受け入れを表明。
これに先立ち名護市議会は徹夜の審議の末、移設整備促進決議を可決していた。

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岸本市長 受け入れ表明

「側近」として支えた2人がみた岸本建男市長の決断 

<島袋氏>
北部市町村議会の支持取り付けに奔走
「岸本市長が受け入れ表明する前に、本島北部12市町村の議長会も条件付き受け入れでまとまったんです。ただ大宜味や今帰仁村は迷っていましたよ。革新系と言われていましたからね。だから『皆さんは振興策はいらないの?村民に説明できるの?』って言ったら、印鑑を押したんですよ。それでもって岸本市長にあげて、北部12市町村の議長会も支持してると。そういうことで受け入れを堂々とやられたんですよ。裏にはそれがあるんですよ」

<稲嶺氏>
役所の先輩として建男市長を尊敬していた
「やっぱり建男さんも、相当追い込まれていたんじゃないのかなと。彼は一坪反戦地主でもあったわけですし、役所の先輩として尊敬する人でお付き合いしてきたから分かるんですが、彼の心情はやっぱり当初は受け入れられないというものがあったんじゃないのかと思いますね。業界や政府も、北部の市町村会からも辺野古問題では「北部振興」という話が出てくるわけですから。そういう中でやっぱり外堀を埋められていくという風にね。意に反するということがあったのかなと僕は思うんですよ」

年表
・2006年1月  名護市長選挙 岸本市長の後継・島袋吉和氏が初当選
・2006年4月  V字滑走路案で名護市と防衛庁が基本合意
・2009年9月  民主党連立政権発足 鳩山首相「最低でも県外」
・2010年1月  名護市長選挙 「辺野古反対」公約の稲嶺進氏が初当選
・2010年5月  日米両政府「移設先は辺野古」共同声明を発表
・2014年1月  名護市長選挙 「辺野古反対」公約の稲嶺氏が再選
・2014年11月 沖縄県知事選挙 辺野古阻止を主張した翁長雄志氏が初当選
・2017年4月  沖縄防衛局が辺野古護岸工事に着手
・2018年2月  名護市長選挙で自民・公明推薦の渡具知武豊氏が初当選

99年12月、岸本市長の受け入れ表明の翌日に政府は「普天間飛行場の移設に係る政府方針」を閣議決定した。このなかでは代替施設の基本計画の策定とあわせて、
「沖縄県北部地域の振興」が盛り込まれた。
「基地」か「振興」か。沖縄県では1972年の本土復帰後から今日に至るまで、この2つが選挙戦の争点としてクローズアップされてきた。

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“取り残された”本島北部の振興

<島袋氏>
基地と振興策のリンクは当たり前
「本島北部は県土の均衡発展から遅れている。名護市は過疎化になっている地区がいっぱいあるんですよ。若者が減って人口が減って。若者を定着させるのも絶対に振興策が必要。若い人がいなくなると過疎化になる。名護市に名桜大学がありますが、卒業しても定職がないとなると本島中南部や県外に行ってしまう。病院だったり学校だったり、医療・福祉・教育が充実しないと人も増えないし、ますます過疎化になりますよ。
辺野古にある国立高専は基地とリンクしているからできた。
リンクなくして振興はありえないと思っています。『基地はいらない、経済振興だけやってくれ』というのは通らないと思っています。政治家が『基地と振興策はリンクしません』というのは綺麗事だと思いますね。冗談じゃないと思います」

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<稲嶺氏>
リンク論なんて言語道断
「仮に基地と振興がリンクしているとするならば、(沖縄振興予算の)3000億円どころの話ではないです。その10倍、100倍くらいの金額でないと。仮にリンクしているというのであればね。要するに日本国を守り、日米安保を担保していることになるんだから。(基地受け入れに伴う)再編交付金なんていうのは期限付きの補助金ですよね。再編交付金という、いま美味しいものは今を生きてる人が食べてね、食べるのが無くなったときに何が残るかと言ったら、騒音であったり米軍絡みの事件事故であったり。再編交付金をもらっていない自治体の方が多いでしょ。ほかの自治体は自分たちの力でやってるわけですよ。名護市ができないはずがない」

「国防」を背負わされた街で…再び問われるのか、地元の「民意」

<島袋氏>
いつまで名護市民を苦しめるのか…
「もういい加減にしてくれと思うんですよね。辺野古については賛成・反対を言い切れないくらいの威圧があるんですよ。国防とか、外交も含めて国の専権事項は国でしっかりやってほしいし。一自治体に負わせるのは酷ですよ。本当に寂しい。市民は本当に仲良くしたいし、一日も早くね、政争が無くなるようにしてね、終わりたい。これが率直な意見。終わってほしい…

<稲嶺氏>
辺野古計画が無くなれば元の穏やかな世界に戻れる…
「辺野古で座り込みをしているおじぃ、おばぁが言った言葉が非常に頭に残った。『何もなかった貧しい時代に生活を支えた恵みの海だと。豊かな環境も残されている。自分たちの生活の問題として、その存在を守りたいんだ。』と。僕は衝撃を受けてね。辺野古移設阻止をやっぱり打ち出すべきだと考えるようになった。
(選挙のたびに)「国防」が問われるのは、理不尽というか不条理そのものだと思いますよね。なぜ、こんな小さな街がね、国防の最前線に位置付けられて。国防という名の下に、まったく民意は無視されるという状況が続いている。理不尽さ、不条理さみたいなものを痛切に感じています」

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辺野古空撮

名護市長選挙をめぐって自民党県連と公明党県本部は現職の渡具知武豊氏の推薦を決めた。また玉城知事を支える「オール沖縄」陣営は出馬を表明した市議会議員・岸本洋平氏を全面的に支援する。
選挙は一騎打ちとなる見通しで、ここにきて両陣営の動きも活発化している。
自民党本部からは11月に茂木幹事長が、12月に菅前首相も相次いで名護市を訪問した。菅前首相は記者団に対し「辺野古移設問題は争点にならない」という見解を示している。だが、政権与党が地方の一自治体選挙をこれだけ重要視して肩入れする背景には、選挙結果によって移設計画への影響を回避したいという思惑が透けて見える。
岸本氏は「辺野古新基地建設は到底認められない」と対決姿勢を鮮明にしているものの、渡具知氏は賛否を明確にしておらず、オール沖縄陣営が描くような辺野古の「争点化」が浸透するかは不透明だ。
政権与党、オール沖縄陣営の双方が、決して落とせない選挙と位置付けるのは、
地元の民意という「大義」が必要だからだ。
ただ、新型コロナウイルス感染症により疲弊した地域経済や暮らしの立て直しが喫緊の課題となるなか、選挙戦では辺野古移設計画の是非だけが争点になるわけではない。
親兄弟までもが賛否をめぐって対立したり、25年近くにわたって市が二分される状況を
強いられてきたことを鑑みれば、その民意は「簡明」なものではなく、「複雑」だ。
冒頭に記した岸本市長の言葉は四半世紀が経った今なお、重い。
「沖縄県民が基地の移設先を自らの県内に求め、名護市民にその是非が問われていることについて、日本国民はこのことの重大さを十分に認識すべきである」


レポート報告:末吉教彦
<略歴>沖縄県出身 沖縄尚学高校卒業後、早稲田大学へ進学 1998年にOTV入社。県警、県政取材キャップ、報道デスク、編集長を経て現在、報道部長

Information

2022年1月23日よる7時55分頃から 開票LIVE配信

2022 名護市長選挙 開票速報 OTV Live News イット インターネット特別番組
YoutubeにてLIVE配信予定。

名護市長選2022

選挙のたびに市民を分断 移設問題の源流は レポート②

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