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OTV報道部

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巨匠に愛された沖縄建築 気候にあわせた「花ブロック」の発案者・仲座久雄

2023年11月24日、那覇市大道の沖縄ホテルが、国の登録有形文化財となった。
戦後にできた建築物の登録は、沖縄県内で初めてだ。

沖縄建築の先駆者が手がけた建物が今に伝えるものとは。

巨匠に愛された沖縄で最も歴史あるホテル

那覇市大道。石垣に挟まれた細道を抜け、鮮やかな赤瓦の門をくぐった先にある「沖縄ホテル」。

沖縄らしい景観や、今に伝わる沖縄建築文化のデザイン設計の先駆けとして、国の登録有形文化財となった。

「沖縄ホテル」は沖縄初の観光ホテルとして1941年に那覇市の波之上で開業した。

国の要人や時の総理大臣なども宿泊した沖縄ホテルだが、戦世(いくさゆ)の波は、容赦なく那覇の街を飲み込んでいった。

創業82年、沖縄で最も歴史ある沖縄ホテルを取り仕切るのは、三代目の宮里公宜(きみのり)さん。

宮里さんによると、沖縄ホテルは戦前、那覇市の波之上で創業したが、戦争で建物も全てなくなってしまい、昭和26年に現在の場所で二度目の創業となった。

老舗のホテルは、濱田庄司や山下清、岡本太郎といった芸術界の巨匠たちにも愛されてきた。

ホテルには巨匠にまつわる「あるもの」も残されている。

沖縄ホテル 宮里公宜 支配人
「こちらが棟方志功の作品でございます。長期にわたり宿泊していて、チェックアウトのときに宿泊代金の代わりに受け取ったという風に聞いています」

その沖縄ホテルで今回、文化財として4つの施設が登録された。

1951年、沖縄ホテルの営業再開を支えた稀少なレンガ造りの建物は、戦後の沖縄のホテル発祥として、その価値が認められている。

現在も宿泊できる旅館棟には、沖縄建築の特徴である花ブロックや突き出したひさしなど、今に生きる沖縄建築の設計デザインを見ることができる。

長い石垣は那覇市内では珍しく、文化庁から「国土の空間、景観に寄与している」と評価を受け認定された。

赤瓦でふかれた屋根に、全長92mの琉球石灰岩の石垣や、守礼門のデザインにも通じる、赤瓦ふきの大道門(うふどうもん)は、沖縄らしい景観で利用客を迎え入れる。

登録された文化財の中でも、旅館棟と瓦石垣、大道門を手がけたのが、戦前から戦後にかけて活躍した建築家・仲座久雄だ。

宮里支配人は、沖縄の気候にあうよう考えた建築技術は、いま見ても美しく素晴らしいと絶賛する。

沖縄ホテル 宮里公宜 支配人
「本当に創業者と仲座久雄さんの縁というのは素晴らしい。本当に価値のある縁だったなっていう風に思います」

文化財の修復から未来を担う観光の建築まで

建築家・仲座久雄は、琉球王国時代に建造された守礼門の修復に携わった経験から、戦後、戦禍に飲まれた守礼門を1957年に復元させた。

ほかにも、園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)や、崇元寺(そうげんじ)石門など、数々の沖縄の文化財を復元。

琉球王国から続くこの島の建築文化を、仲座久雄が戦前から戦後に繋いだのだ。

その仲座が目指したのが、沖縄にふさわしい建築の姿であった。

沖縄の建物に多く見られる「花ブロック」は仲座久雄が考案したもので、沖縄ホテルではデザインの初期、原型を見ることができる。

仲座が生み出した花ブロックは、今ではさまざまなデザインが世に生み出され、沖縄建築の大きな特徴の1つとなっている。

沖縄ホテル 宮里公宜 支配人
「ブロックの本当の役割っていうのは、沖縄の日差しを和らげるし、かつ沖縄の軽やかな風を屋内まで届けられるっている合理的な壁になります。風通しがいいので、すごく雰囲気的にはいいし、中に入っても涼しいですよ」

沖縄を訪れる観光客を、仲座は沖縄の風土と文化をもって迎え入れるよう設計した。

戦後の建築物としては、沖縄県内で初めて国の登録有形文化財となった「沖縄ホテル」。

戦前から沖縄の観光を見つめ続けてきた歴史がそこにある。

沖縄ホテル 宮里公宜 支配人
「国の登録有形文化財に登録され、うれしいです。戦争直後のレンガ作りの建物や復帰前に作られた建物、沖縄の観光はそういった歴史的要素も注目してほしいという思いで、濃くなった沖縄の歴史がうちのホテルで感じていただければいいなと思っております」

まちにたたずむ建築は、静かに、私たちに、沖縄という土地の風土と歴史を伝えてくれている。

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