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OTV報道部

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謎多きミステリアスな音楽家“金井喜久子” 幻の映像発見でわかった熱い想い

日本女性として初めて交響曲を作曲するなど、偉大な足跡を残した沖縄出身の音楽家・金井喜久子。

本人に関する資料が少ないことなどから謎が多く、ミステリアスな存在であったが、倉庫の片で見つかった古いフィルムから、金井喜久子の「幻の映像」が発見された。

近年その功績が再評価され話題となっている金井喜久子とは、どんな人物だったのか。
長い時を経て、故郷への熱い想いが明らかになった。

倉庫の片隅で見つかった「幻の映像」

沖縄テレビのアーカイブ映像が保管されているVTR倉庫。

その奥で眠っていた16ミリフィルムの中から、ある人物の貴重な記録が発見された。

40年以上前の古ぼけたフィルムには、沖縄出身の偉大な作曲家の名前が記されていた。

琉球音階を取り入れた作風を貫き、その生涯をかけ音楽で沖縄文化の素晴らしさを世界に伝えた「金井喜久子」

日本人女性として初めて「交響曲」を完成させたという偉大な作曲家だ。

1972年に日本武道館で開かれた復帰記念式典で演奏された曲も、金井喜久子がこの日のために作曲した沖縄への想いあふれる交響曲であった。

その偉業を後世に語り継ごうと発足した「金井喜久子プロジェクト」

彼女が残したメッセージを精力的に発信してきた。

プロジェクトメンバーが表現の方法としてきたのは、彼女が作曲した音楽の演奏や書籍化されていた自伝を基にした「朗読劇」

朗読を中心に舞台を演出したのは、金井喜久子が自らの想いを語る「音声」や「映像」がほとんど見つかっていなかった事もひとつの要因であった。

貴重な肉声でわかった「原点」

沖縄テレビで発見された16ミリフィルムには、いったい金井喜久子のどんな映像が映っているのか。

デジタルアーカイブを専門に行う東京の会社にこのフィルムを送り、修復を依頼した。

1980年に放送されたドキュメンタリーフィルム。
43年という時間が経ち、かなり劣化が進んでいたが、専門家の手による修復作業で鮮明なデジタル映像として甦った。

2023年12月2日に開かれた「金井喜久子プロジェクト」の年次総会。
プロジェクトメンバーに甦った「幻の映像」を観てもらうことになった。

ずっと金井喜久子と向き合ってきたプロジェクトメンバーでさえ初めて目にする彼女の動く姿。
モニターに映し出された姿を、メンバーは食い入るように見つめた。

金井喜久子プロジェクト発起人の宮城さつきさんは、これまで数多くの資料に目を通してきたが、作曲している様子は写真でしか見たことがなかった。

フィルムにはさらに、本人が自分の音楽の原点を語る肉声も残されていた。

金井喜久子
「こちらが、私の思い出の地・ナンミン(波の上)の丘です。美しいイタリー(イタリア)の民謡を口ずさみながら、心はいつも沖縄の民謡のことでした。イタリーの歌に勝るとも劣らない沖縄の歌を拾い集めて、沖縄の内にだけ閉じ込めず、世界の人に紹介したらという夢を持つようになりました。そして、沖縄を太平洋のイタリーにしたいという希望を持つようになってきました」

今なお受け継がれる沖縄音楽への情熱

晩年の金井喜久子が全身全霊をかけて取り組んだのが、「ひめゆり記念資料館」の建設を実現させるということであった。

映像には、ひめゆりの塔で想いを語るシーンも記録されていた。

金井喜久子
「ひめゆりの塔に眠る若い乙女たちは、私の後輩にあたります。彼女たちは青春の楽しい想いも知らずに、従軍看護婦として蕾(つぼみ)のまま散っていったということは、私にとって大変悲しいことなんです。「ひめゆりの塔」は、私が沖縄に帰って来たら、どうしても訪ねないといけないところなんです」

金井喜久子プロジェクト発起人の宮城さつきさんは、今回発見された動画を見て、金井さんがいつまでも沖縄を想い続け、その心は決して沖縄から離れなかったと感じていた。

沖縄音楽に対する想いを語る本人の声がフィルムには残されていた。

金井喜久子
「『金井さんはいつまでも沖縄から離れられないんですね』って言われたことがあるんですよ。私自身、沖縄のリズムから抜け出せない不器用な人間なんでしょうね。しかし、抜け出す必要ありませんね。使っても、使っても、使いきれない文化的遺産を先祖からいただいているようなものですから。これから育ってくる子どもたちにも、大きい目で見て、世界に伸びるよう育ってほしいと祈っていますの」

金井喜久子プロジェクト実行委員長の鎌田佐多子さんは、この映像を沖縄の宝だと表しました。

鎌田佐多子さん
「よくぞ見つけてくれました!いま振り返ると、とても貴重な映像です」

金井喜久子プロジェクト発起人の宮城さつきさんは映像から、沖縄の文化を伝えたいという金井喜久子の本人の言葉に触れ、彼女が残した音楽やそこに込められたメッセ―ジをより多くの人に伝えたいと思いを強くしていた。

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