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首里城火災から5年 学校や学年を越えて広がった高校生による募金活動 発起人が抱く再建への思い

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首里城火災から、2024年10月31日で5年である。
朱色に輝く首里城を甦らせたいと、当時、すぐに立ち上がった高校生たちがいた。中心となって募金活動に力を尽くした外間愛夏さん。
火災から5年が経つのを前に再建が進む様子を目にし、集めた思いが形になりつつあるのだと感じている。
高校生なりにできることはないか
外間愛夏さん(当時、浦添高校2年)
「首里城再建に向けて募金活動を行っています。ご協力お願いします」
2019年11月。首里城が焼失して間もないこの頃、街頭に立つ高校生たちの姿があった。

再建を願う募金活動の発起人だったのが、当時浦添高校2年の外間愛夏さんである。
外間愛夏さん(当時、浦添高校2年)
「高校生なりにできることはないかと思って。全然人もいなかったんですけど、いる人だけでとりあえずやってみようと」

首里崎山町で生まれ育った外間さん。首里城は暮らしのすぐ側にあった。
外間愛夏さん
「家から見えるくらいの近さにあるので、ベランダからも当時は屋根が見えていて、それくらい近いのためだいぶ身近な存在でした」
しかし首里城は一夜のうちに自宅から見えなくなった。

外間愛夏さん
「祖母が『首里城が燃えているよ』って部屋まで起こしに来て。ヘリの音が大きく聞こえてきたので、これ現実なんだと思って。ベランダに出たら炎が見えるし、屋根が全部落ちていたので、骨組みが少しだけ残って、突き抜けて空が見える状況でした」
首里城は身近な存在であったため、大事なものがなくなった喪失感が大きく、心にぽっかり穴が開いたような感じだったとのこと。

幼いころから見てきた首里城を失った痛みを抱えながらも、外間さんはただ落ち込んでいるだけではなかった。
学校や学年の垣根を越えて広がる協力の輪
外間愛夏さん
「何かできることないかなと、次の日から何かやりたいという気持ちはありました」
首里城のために行動したい。那覇の街に出て募金活動に乗り出したのは、火災の2日後だった。

思いに賛同した協力の輪が、学校や学年の垣根を越えて広がっていった。
知念幸都さん(当時、那覇国際高校2年):
「募金活動だったら、自分たちにもすぐできるのかなと思って。ただ突っ立っているだけだったら悲しいだけなので、これは参加するしかないなと思って」

抱える募金箱には、首里城を大切に思う人々の気持ちが続々と寄せられていった。
外間愛夏さん(当時、浦添高校2年)
「『頼んだよ』とか、任されたと感じる言葉をいただけました。首里城が好きだった方もたくさんいるので、すごくうれしく思っています」

集まった金額はおよそ200万円。
沖縄の誇りである朱色の城を再び目にしたいと思いを込めて、玉城知事へと手渡した。

外間愛夏さん
「人の気持ちの重みを知ってほしくて、両替をせずにそのまま重い箱で寄付に行きました。びっくりするくらいたくさんの人が応援してくれて、『頑張ってね』という声が大きかったので、行動に移してよかったと思いました」
希望 沖縄のシンボルだと思っている
外間さんはこの日、首里城の再建が始まって以来、初めて首里城に足を運んだ。

外間愛夏さん
「素敵ですね。再建の様子を見学できるのは」
現場には、被害の大きさを物語る瓦礫が展示されている。

外間愛夏さん
「残っているのがこれだけっていうことですよね。(龍の)“眼”が悲しいですね。あんなバラバラになっちゃって」

正殿の再建が進む素屋根へ。
外間愛夏さん
「全部見えるとは思っていなくて。こんなに近くで、中まで見えるというのはなかなかないと思うので、貴重な体験だなと思います。ここまで進んでいるとは思っていなかったので、すごいです。目の前で見ているというよりは、映像を観ている気分です」

形作られていく正殿の姿を目の当たりにし、5年前の悲しみは期待へと変わりつつある。
外間愛夏さん
「沖縄のシンボルだと思っているので、希望だなって思います。できあがるんだという期待が大きいです。本当にいろんな人に募金してもらってすごい金額が集まったので、みんなの気持ちは、この中の一部になれているのかな」
火災の直後に立ち上がった高校生たちの熱意は共感を生み、多くの人々の心を動かした。募金活動を通して集まった首里城を甦らせたいというたくさんの思いが、きょうも再建を後押ししている。
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