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OTV報道部

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戦後80年経て判明した学徒の犠牲。見つかった校章と学徒隊の真実

【戦世から80年】見つかった開南中の校章

目次:
・80年前の校章
・55年前の映像に手がかり
・判明した学徒の犠牲
・学徒の記憶残すため
・動画で見る

2025年2月、沖縄県糸満市にあるガマから「中」と彫られたバッジのようなものが見つかった。

戦後に作られた資料を紐解くとそれは、多くの生徒が学徒動員された沖縄戦をきっかけにわずか9年で廃校となった私立中学校の校章であることが分かった。

80年前の校章

沖縄県糸満市の丘陵地にあるガマには戦時中100人以上の地域住民が身を隠していたが、日本軍の兵士数人が現れ住民を追い出したという証言が残されている。

【戦世から80年】見つかった開南中の校章

遺骨収集ボランティア 浜田哲二さん
「このあと、日本兵はアメリカ軍の攻撃を受け、壕にいた十数人は全滅しました。戦後、遺骨は長い間放置されたままでした」

【戦世から80年】見つかった開南中の校章

ガマの中やその周辺では、当時のものと思われる遺留品のほか、遺骨も多く掘り出されている。

【戦世から80年】見つかった開南中の校章

千葉県から遺骨収集に参加 辻美和子さん
「このあたりを熊手で掘っていると、出てきました。裏返したら『中』という字がはっきり見えました」

掘り出されたのは、三角形にデザインされた葉の模様の中央に「中」と彫られたバッジ。

【戦世から80年】見つかった開南中の校章

千葉県から遺骨収集に参加 辻美和子さん
「近くに骨もあったので、その方のものではないかと思いました」

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