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戦後80年経て判明した学徒の犠牲。見つかった校章と学徒隊の真実
目次:
・80年前の校章
・55年前の映像に手がかり
・判明した学徒の犠牲
・学徒の記憶残すため
・動画で見る
判明した学徒の犠牲
開南中学校は1936年、現在の沖縄県那覇市樋川(ひがわ)に創設された。

戦争が激化すると、校舎は石部隊の訓練所として使われるようになった。
4・5年生は鉄血勤皇隊として動員。2・3年生は通信隊などに入隊し、第62師団や第24師団に配属されたが、公的な資料はなく動員数や戦死者数は「不明」とされてきた。

しかし2019年、中学校教諭で沖縄戦を調べる大城邦夫さんが国立公文書館から貴重な資料を入手した。5つの学徒名簿が残されており、その中に開南中学校の名簿も含まれていた。

その名簿を見せてもらおうと浜田夫妻は大城さんを訪ねた。
資料を手にした浜田さんは本人の名前や戦没場所は記されていないか確認を進めたが、大城さんは「ないんです」と静かに答えた。
仲西中学校 大城邦夫 教頭
「発表のあと『名簿を見せてほしい』という遺族の方が来ました。その方は身内が開南中の学徒だったと言っていましたが、名前が載っておらず残念そうに帰られました。名簿に載っていることを期待していたので私も辛かったです」

名簿に残されているかもしれないと、肉親の生きた証しを探しに訪れる遺族たち。
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