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桐谷健太さんインタビュー「映画『ミラクルシティコザ』を通じて沖縄の人の想いを知りたかった」
2022年2月4日(金)より全国上映となる映画「ミラクルシティコザ」は、1970年代の沖縄市(コザ)を舞台にしたタイムスリップ・ロックンロールエンターテイメントです。沖縄県内では先月より先行上映が始まり、SNS上でも賑わいを見せています。今回OKITIVEでは、主演でハル役の桐谷健太さんにお話をうかがうことができました。桐谷さんの本作にかける思いが感じられるインタビューをぜひお楽しみください!
やり遂げたコザ騒動のシーン
――映画「ミラクルシティコザ」を拝見しました。中でも特に印象的だったのが、アメリカ兵の友人ビリーが襲われるシーンです。日本とアメリカ、ウチナーンチュ同士、またバンド仲間それぞれが対立している格好で、見ていて非常に苦しくなりました。桐谷さんはどのような思いで演じられましたか?
桐谷健太さん(以下略)「コザ騒動(※注)のシーンですね。平一紘監督から最初に脚本を見せていただいて、ずっと二人でやりとりをしていたんですが、あのシーンは最後まで何回も変わりました。撮影の前夜に、二人で話してカチッとはまったというか。どう表現するのか、平監督は一生懸命掘り下げていったと思います。
もちろん人によって感じ方も想いも違うはずです。僕はこの映画を通じて沖縄の人の想いを知りたかったし、それが一番出たシーンでもありました。だからコザ騒動のシーンで、ハルとしてすーっと自然に涙が出てきたんです。撮影は夜深くの時間帯だったんですが、撮り終えた時にものすごく心地よい疲れを感じて、やり遂げた気持ちになりました。どのシーンも全力で演技していますが、中でもあの場面は確かに印象的で、素晴らしいシーンになりました。
コザ騒動のシーンって一人二役演じているんです。最初は孫の翔太だったけど、殴られている間にハルに戻る。ひとつのシーンでふたつの観点を体現することはなかなか無いので、ものすごく刺激的でしたね」
※コザ騒動…1970年12月20日未明、米軍統治下の沖縄のコザ市(現在の沖縄県沖縄市)で発生した事件。米兵が起こした交通事故の処理をめぐり、米軍施政下で抑圧されていた民衆の怒りが爆発。米軍関係の車両を焼き討ちした。
平一紘監督と一から作り上げた作品
――やっぱり途中で入れ替わっていたんですね。このシーンも含め、平監督とは何度も議論を重ねながら脚本を深めていかれたそうですが、桐谷さんにとってどんな監督でしたか?
桐谷「いま斜め前に平監督本人がいるんですが…(笑)
この作品にかける想いと情熱がバシバシ伝わってくる監督です。最初に脚本を送っていただいて、監督が『なんでもいいんで感想を言ってください』ってところから始まりました。じゃあって返事を書かせていただいて。すぐに『書き直します!』って連絡があって、ほんとにすぐに脚本が来てすごいなぁ、と。それからまた『なんでもいいんで感想ください』って言われて、僕もまた書いて…。そんなやりとりが7~8回続いたんですね。その時に『もうちょっと定まってからにしてください』って伝えまして。『これ、いつまで続くんだろう』って(笑) でも、それくらい情熱を感じました。」
桐谷「実は、コロナ禍で3回くらい撮影が延期になって。平監督的には『桐谷健太、ほんとに来るのか?』って不安になったみたいで。それでコザの魅力を動画にして、僕だけが見られるようYouTubeに限定公開してくれて。これもすごいですよね。
でも、昨日の夜プロデューサーから『実はあのYouTubeを送ったきっかけは桐谷さんですよ』って言われたんです。僕が映画『BECK』でラッパーの役を演じた時、吹き替えに合わせて口パクになるかもしれないって聞いて、『ちょっと待って、自分でやらないと全然意味がない!』と、堤幸彦監督と原作のハロルド作石さんにビデオレターを送ったことがあって。
プロデューサーがそれを覚えていて、『桐谷さんはそんなことをした人だよ、そうやって作中でもラップをしたんだよ』って伝えたら、平監督は『じゃあ送らないと』ってYouTubeを送ってくれたらし いんですよね。」
平一紘監督「いま、バレた!と思っています(笑)」
桐谷「でもね、そういうエピソードを聞いてすぐ行動に移すピュアな感じ、しかも一回ではなく何度もコザの動画で送ってくれて。街の様子や食レポをしてくれました。とにかく、この作品に対する愛情が全員に伝わることをしてくれました。」
――撮影中のやりとりで印象的だったことも教えてください。
桐谷「僕は大阪人だからこそ客観的に見える部分もあると思うんです。そういう視点で『こう思います』って伝えたときに、監督ははっきりと信念を持って『でも、それは入れない方がいい』って言ってくれるんです。逆に『それいいですね!』ってところはとことん受け入れてくれる。だからこそすごく信頼できました。全部を突っぱねる、全部を受け入れるではなくて、平監督の中でビジョンが見えているからこそ僕のアイデアを選択してくれたんです。
他の作品だと監督の世界観に合わせますが、この映画は『なんでも言ってください』から始まっているので、一から作り上げた感じがします。ゼロから一に持っていったのは平監督ですが、僕は一から参加させてもらえた喜びがありますね」
――今回のように一から参加した映画は初めてですか?
桐谷「他の作品だと、もちろん『ここってこうだと思うんですけれど』みたいな話はする時もあるんですが、脚本が決まっていない段階からどんどん入るのは初めて。コザ騒動のシーンも、現場に入ってからも『これはどうなんだろう?』とずっと話していました。前夜に『桐谷さん、このセリフどうですか?』と直しを持ってきてくれて、こうやってこうしたらめっちゃいいじゃないですかって話しながら詰めていく。この感覚はなんだかワクワクしましたね。ふだんはない撮り方です。」
沖縄に対する考えが変わった
――映画では、復帰直前の沖縄の様子や米軍基地について触れています。ミラクルシティコザを通じて、沖縄の抱える課題や問題を知った方も多いと思います。桐谷さんご自身、映画に出演する前後で考えが変わったことはありますか?
桐谷「それはもちろん、全く変わりました。いろんな歴史を抱いた土地だと昔から知っていましたけど、あえて見ようとしなかった自分もいたというか。この映画に出演させていただくことになって、たくさんの資料も読みました。実際にMURASAKI(紫)のドラマー Chibi(宮永英一)さんや地元の人から話を聞いたりもしました。話してくれる人によって想いが異なるのも心に染み入りました。『ミラクルシティコザ』はそういういろんな人の想いが見えるのが素晴らしいですし、平監督はそれを説教じみた感じではなくエンターテイメントとしてじんわり染み込ませるような伝え方をしているのがすごく素敵ですね。
この映画に出演できてよかったと思っています。沖縄に対する考え方も変わりましたし、ますます沖縄が好きになりました。どちらかというといままでは自然を楽しみに訪れていたのですが、新たに人や街に会いに行く場所に変わったのはとっても大きいですよね。」
――桐谷さんは何度も沖縄を訪れているんですよね。映画タイトルに絡めて、沖縄滞在中に起こったミラクルなことは?
桐谷「ミラクルなことですか?そうですね、初めて沖縄を訪れたのは中学生の時で、飛行機から降りてこの島の風を浴びた瞬間に鳥肌が立って、懐かしく思いました。ほんとに細胞で感じた気がして。それからずっと気持ちのよい夢の中にいるような感覚で沖縄にいたのを覚えています。僕的にはそれがミラクルだと感じていて。沖縄に対しての想いも強くなったし、三線の音色も大好きで、そこから何度も沖縄本島も離島も行き来しました。やっぱり最初の懐かしいミラクルな感覚があったからこそ、今があると思います。」
沖縄県民に向けて
――沖縄県民に向けて、伝えたいメッセージは?
桐谷「僕は『ウチナーンチュですか?』って聞かれることもあるし、初めて訪れた時からとにかく沖縄に対して縁を感じているんです。今回もこうして主演という形で出演させていただいた。純粋に幸せです。映画の公開は、コロナで延期になったから今年になっただけで、もしかしたら去年だったかもしれないんですよね。これは偶然ではなく、本土復帰50周年の年ですから必然かもしれません。そういう意味でも繋がりを感じます。」
――桐谷さんご自身、復帰50周年について思うことがあれば教えてください。
桐谷「もちろん、49周年だろうが50周年だろうが、数字じゃないと思います。そういう歴史があったということには変わりはありません。でも半世紀が経ち、沖縄や日本の皆さんがもう一度見つめ直す機会に、楽しい気持ちに向かう映画を生み出せた事は僕にとってとても意味があることです。過去にあったことだけを見つめて悲しむだけでなく、輝いている未来の方に向かっていこうとしている。そんな『ミラクルシティコザ』に出演出来て僕はとっても嬉しいですね。
まずは沖縄の皆さんにこの映画を見ていただいて、それで映画が成熟していき、そして日本全国のいろんな人に伝わっていく。そのためにも沖縄の方たちの応援が不可欠です。温かく見守っていただけたら嬉しいです。」
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