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OTV制作部

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宮城 仁四郎 ~沖縄基幹産業のパイオニア~【オキナワ強者(チューバー)列伝】

1972年5月15日、沖縄は日本復帰。あれから50年という歳月が流れた。
戦後、アメリカの占領統治下での苦難を乗り越え「復帰」にたどり着いた沖縄。
世紀の「世替わり」の裏側では、時代を切り拓いた「強者(チューバー)」がいた!
「世替わり」という激流の中で奮闘した「強者」の姿にスポットを当てる!

※チューバー:琉球語で「強い」「強がる」「気が強い」「勇気がある」の意

今回は「沖縄経済」をテーマに沖縄財界四天王を紹介!
はちゃめちゃでパワフルな男たちの物語!

「沖縄経済」四人目の強者(チューバー)は、宮城仁四郎!!

宮城仁四郎 ~沖縄基幹産業のパイオニア~【オキナワ強者(チューバ―)列伝】

1902年、大宜味村生れ。戦前、沖縄製糖工場長を経てジャワ島で製糖やセメント製造、農園経営にあたる。
戦後は砂糖のほか、パイナップル・煙草などの事業を拡大し、琉球セメントの社長となる。その後11社から成る「琉天会」の会長となる。

ここで、クイズ!

仁四郎は試行錯誤を繰り返し、製塩工場を稼働させますが、塩を作るためにボイラーの燃料が必要でした。
物資の少ない沖縄では工夫が必要でした。独特の燃料ですが、次の中から燃料になったものは?

1.石炭
2.タイヤ
3.お金
4.ガソリン
 
 

正解は、4番以外すべて!

なんと、ガソリン以外はみんな燃料として使っていたんです!

事業として「やる」と言ってしまった仁四郎は粉骨砕身、どうにか成功しようと努力しました。
高嶺製糖工場から石炭ボイラーを探し出し、改造を加えて応用します。
そして燃料については、当初は安謝のブタノール工場に残っていた石炭を回収して利用していました。後に米軍の古タイヤを払い下げ、燃料にしました。古タイヤはコストがあまりかからない上に、長い時間燃え続けたそうです。
また極めつけは、本土復帰前の米軍統治下で使用されていた「B円」。
なんと銃を持った米軍が取囲む中で廃棄処理をまかせられていたそうです。
こうした廃品による製塩業は高収益事業となりました。

※「B円」…1958年まで米軍統治下の沖縄県で流通したアメリカ軍発行の通貨(軍票)

宮城仁四郎 ~沖縄基幹産業のパイオニア~【オキナワ強者(チューバ―)列伝】
沖縄産業の恩人サムエル・C・オゲレスビーと特に親交が深かった仁四郎

そのほか、宮城仁四郎のチューバー列伝はこちらをご覧ください。

「アメリカ世」から「ヤマトの世」へ!「復帰」という時代の大転換の荒波の中、様々なジャンルで沖縄のために奮闘した「強者(チューバー)」たちの熱い物語を、沖縄テレビが記録したアーカイブ映像や、証言をもとにしたドラマで振り返る!

オキナワ強者(チューバ―)列伝 OTV 沖縄テレビ

沖縄県復帰50年特別企画「オキナワ強者列伝」

第一回「経済」の強者
2022年3月15日(火)19時から沖縄県内のテレビ8チャンネルにて生放送!

>番組情報はこちら!

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