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真境名 育恵

真境名 育恵

自分の「産み時」について考えたことありますか?

真境名育恵の19 PEDIA(19ペディア)

目次

みなさん自分の「産み時」知っていますか?

読者のみなさん、おはこんばんちは!(アラレちゃん風)。
前回のコラムが若干「硬め」だったので、最初の挨拶でざっくり感を出してみましたが、そもそもOKITIVE読者でDr.スランプ アラレちゃん(鳥山明先生作)を知っている方はどれくらいいらっしゃるのでしょうか?

連載2回目となりました。この原稿を書いているのは旧盆中で、沖縄長男嫁である私にとって、通常であれば一年のなかでも最も忙しい日だったりするのです。
ですが、今年もコロナ禍が続き「集まらないお盆」が推奨されているご時世的なこともあり、嫁的な役割(主に台所仕事)のない旧盆を過ごしております。

さて、今回のテーマは
「子どもをほしいと考えているみなさん、ご自身の産み時を知っていますか?」
といった内容です。

というのも私、結婚した35歳で妊活をスタートした際、正直、「病院に行けばさほど時間をかけずに、すぐ妊娠・出産できる」と考えていました。ですが、そこから5年も妊活した上に、病院を3回も変えることになるとは・・・予想していませんでした。

幸い、3回目の転院先で高度生殖医療を受けた結果、双子女児を授かることになるのですが、そこに至るまでの険しい道のりを思い返すと「本当によくがんばったなー」と、しみじみ感じます。出産後もしばらく+判定の妊娠検査薬を捨てられなかったほどです。

いまも残してある妊娠発覚時のエコー写真(一部)
いまも残してある妊娠発覚時のエコー写真(一部)

妊活スタート時は「子どもがほしい」かわからなかった。

私の妊活は沖縄長男嫁として「孕まねばならぬ」からスタートしました。いま改めて振り返ってみると、当時の心中では「私って、本当にいま、子どもがほしいのだろうか・・・?」という気持ちが常にありました。

妹が私よりも早く結婚・出産していたため、おしめをしていた頃から成長を見ている姪たちや、大人になった彼女たちが産んだ赤ちゃんは無条件で可愛かったですよ。なので母性の自覚はあったと思います。
ですが「自分が子どもを持つ」ことや、結婚して間髪入れずに「子づくり」突入だなんて、ぶっちゃけ気持ちがついて行かず・・・。とても「低―い」テンションだったのです。

さらに、その総合病院では研修医の視察同意を求められることが度々あり、生殖医療の未来を担う医者の卵の役に立つならと、複数回快諾しましたが私の「生理周期」や「生殖行為」を初見の医者の卵に、ただただ黙って聞かれている・・・という状況に耐えられなくなり、研修医の同意を断るようになっていきました。

そうなると「欲しいかどうかも判らない子ども」を得るために不妊治療外来に通うことが精神的な苦痛となり、通院するとたくさんの患者さんと共に過ごす長時間の待ち時間でヘトヘトになり、やっと自分の名前が看護師から呼ばれる頃には心身ともに疲弊するようになっていました。

低いテンションが最初に通院した総合病院の担当医に伝わったのでしょうか。通院して半年ほど経過したころ、担当医より
「あなたよりもっと深刻に、お子さんを望んでいる患者さんはいます。」
と言われたこともありました。

その時の私は、担当医の患者に対する対応について病院側にクレームをつける元気は全くありません。初めて通う病院、初めて受ける不妊治療、生理周期に合わせるため仕事を休まなければならない負担。いま思い返しても、当時の私は相当疲れ切っていたと思います。

不妊治療の一般的な流れとして「タイミング療法→人工授精→体外受精」というステップがあります。クリニックやお医者さまの方針によってステップアップの進行は決められるのですが、私の場合、卵管造影検査(子宮と卵管の通り具合を検査するための造影剤を使った特別なレントゲン撮影)のあとタイミング療法を半年間ほど試しました。その後、人工授精を何回か繰り返したあと、「夫婦共に30代」という年齢的な兼ね合いを考慮した結果、担当医から高度生殖医療にカテゴライズされる「体外受精」を提案されました。通院しておよそ一年が経過していました。

ですが、再度夫婦で話し合い、「自然妊娠」するための体づくりに理解を示してくれる不妊治療専門の個人病院へ転院を決めました。その頃、私と夫はまだ自然な形での妊娠にこだわる部分が強かったように感じます。

転院先は、待ち時間や医師との相性を含めて、ストレスが少なく通院環境も快適でした。ですが一年半ほど通院するも、なかなか妊娠にこぎつけることはできずに、ただ月日だけが過ぎていきました。

妊活(不妊治療)に明け暮れていた時期に生まれた姪孫。自覚する母性。
妊活(不妊治療)に明け暮れていた時期に生まれた姪孫。自覚する母性。

私が“自分の子ども”を本気でほしくなるきっかけ「兼高かおるさんの著書」

「自分の子どもを本気でほしいか、自分でもよく分からない。」
そんな気持ちを抱えたままの妊活なので、不妊治療専門外来への通院以外のことは一切しませんでした。

まわりの妊活中の知人女性たちは「妊娠できる!」という謳い文句の民間療法もいくつか並行していましたが、私の場合、家族が増えるまでの夫婦だけの時間をいかに充実させるかの方がプライオリティが高く、年に一度は「妊活休暇」と称して、夫婦で海外旅行に出かけるほどでした。

結婚と同時にスタートした妊活。いつかはほしいけど本当にほしいと思っているのか?いまいちわからない自分の子どもに対するモチベーション・・・ 気持ちがついていかないまま不妊外来に通院するものの、毎月やってくる生理に落胆する日々。

そんな長―い「妊活モヤモヤ期」に私は自分の魂の答えを探すべく、妊活や出産にまつわる本や雑誌を手当たり次第に読んでいました。
そしてある日、運命の一冊の本に出会うことになります。

それは幼い頃、日曜日に一家団欒で観ていた大人気テレビ番組「兼高かおる世界の旅」で、ナレーター、レポーター、ディレクターなど何役も務めていた兼高かおるさんのエッセイ「わたくしが旅から学んだこと(小学館)」でした。

いまでこそ数多くの旅番組がありますが、「兼高かおる世界の旅」は、まさに日本における旅行番組の先駆け。取材した国はおよそ150カ国にも上り「私の人生のほとんどが仕事であり、旅だった。」とおっしゃる兼高かおるさんの生きざまは、私にとっても憧れの存在でした。そんな日本を代表する才色兼備な兼高かおるさんのエッセイには、ご自身の「結婚や出産」にまつわる考え方が書かれた章がありました。

「(第三章)できるときにしておけ。産めるときに産んでおけ。」
というストレートな見出し。

ご本人は「結婚しない運命だった」、「私のご主人様は『世界の旅』だった」と明言しながらも、「仕事に熱中して、わたくしは家庭をつくることをしませんでしたが、そんな自分を棚に上げて他人には“できるときにしておけ。産めるときに産んでおけ”と言っています。」、さらに「ものにはタイミングがありますが、こと出産に関しては『年齢制限あり』ですから。若くて産めるときに、そのタイミングを大事にしなければいけません。」とも語っています。

私はその内容に衝撃を受けました。あんなにも美しくあんなにも知的であんなにも聡明で人生を仕事に捧げたと言って憚らない女性からの、後輩へ向けたストレートなメッセージ。

幼い頃からテレビ番組を通して、私が見たこともない国や世界へ誘ってくれた、憧れの女性・兼高かおるさんの言葉は、「人生で後悔しないためにも、私も自分の子どもがほしい」と本気で考えるきっかけを与えてくれました。
そしてそのとき、私はすでに37歳になっていました。

尊敬してやまない憧れの女性。兼高かおるさんの著書。
尊敬してやまない憧れの女性。兼高かおるさんの著書。

「卵子保存」で妊娠できるとは限らない。

現在、結婚していなくとも「将来的に妊娠・出産を考えている」という方が、いらっしゃると思います。
そして日進月歩の生殖医療。
いまは仕事(キャリア)を優先させたいので、将来子どもがほしいと思ったときのために、卵子を取り出して凍結保存しておく・・・といった選択も可能になって来ました。

そもそも卵子凍結は、抗がん剤治療などで卵巣機能の低下が予想される若い女性患者が、将来子どもを持つ可能性を温存するための技術とされています。ただ、数年前には「40代の健康な女性が、凍結保存しておいた自分の卵子で出産した」という明るいニュースもあり、その医療技術に賭けたい!と考える方もいらっしゃるのではないでしょうか?

日本生殖医学会は「推奨するものではないが、妊娠・分娩をするかしないか、その時期をいつにするかはあくまでも当事者の選択に委ねられる事項」というガイドラインを提示しています。それに対して、日本産科婦人科学会の専門委員会は2015年、「推奨しない」見解を示しています。

私の経験談としては、妊活を始めた当時の「卵子凍結」について、妊娠まで導いてくださった3院目の担当医から、
「医療技術の進歩で可能とはされてはいますが、金銭的な負担も大きいですし、正直いっておすすめしません。健康で若い卵子を凍結できたとしても、受精卵ではないのですから・・・私の見解からして子宮に戻したときに妊娠できる確率も、さほど高くはないと思います。」
とアドバイスを受けています。

私が妊活していたのは今から6年前の話ですから、現在は状況が変わっている可能性は十分あります。ですが、
【女性の妊娠力は、30歳を境に確実に低下する】
というのは、まごうことなき事実です。「孕む性」として産まれた以上、自分自身がライフプランの一貫として「子どもを産みたいか?そうではないか?」を早い段階で決めた方がよいと、苦しい妊活を経験した人間としては思います。

不妊治療の「卒業(妊娠確定)」のときに、クリニックからプレゼントしてもらった手づくりマスコットの双子。
不妊治療の「卒業(妊娠確定)」のときに、クリニックからプレゼントしてもらった手づくりマスコットの双子。

最後に。自分らしい選択を。

いろいろ書きましたが、人生の選択肢が無限に広がる現在、女性の人生に置いて「子どもを産むか、産まないか」は、正直、その人本人が決めることであり、基本的なスタンスとしては他人がどうこういうことではないと考えています。

とはいえ、私のコラムを読んでくださる読者は、「妊娠・出産・妊活・不妊治療」などに興味のある層だと想定しています。そして「転ばぬ先の杖」として誰かの参考になればと、私自身の経験談を赤裸々に書き綴っているつもりです。

私自身は5年間の妊活を経て、幸運にも双子女児を授かることができました。でも、当然ながら出産はゴールではありません。賢明なみなさんにとってわかりきったことではあると思いますが、一度出産をしたら、そこから長い人生をかけた「子育て」が待っています。

さらにいえば現在、私たちが暮らす日本では、女性が出産・育児しやすい環境が整っているかと考えると、私個人の考えとしては「育児環境の良し悪しは、運任せ」な部分が大きいのでは・・・という考えに辿り着きます。なので、子どもを産むことを手放しに推奨し、迂闊に他人におすすめできるものでもありません。

そういったことを踏まえても、私の人生において子どもを授かったことは、この上ないギフトだったと断言できます。ギフトを受け取れた以上、私から生まれてくれた双子に最良の人生を歩んでほしいと日々願いながら、子どもたちの成長に向き合う一人の母親であることも紛れもない真実です。

このコラムを読んで下さっている読者のみなさんが、ご自身の人生で「後悔」のない選択ができることだけを切に願って止みません。

双子とお出かけ(ミハマ7プレックス前にて。)
双子とお出かけ(ミハマ7プレックス前にて。)

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