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「海を越えた天皇杯。」“small island”沖縄のキングスが初優勝した意味…清水由規・元日本代表HCや福岡第一高の井手口孝監督も祝福
「全部繋がってる」岸本隆一が語る“先人”への思い

沖縄のチームが初めて天皇杯の本戦に出場したのは1993年(第68回大会)の「白石クラブ」である。燃料販売などを手掛ける白石グループの社員で作り、沖縄県バスケットボール協会の現会長である日越延利氏らが中心となって立ち上げたチームだった。1990年代は中学、高校のカテゴリーでも県勢が躍動し、沖縄バスケが一躍全国区にのし上がった時代だ。
とはいえ、2017年に都道府県レベルからの一貫したトーナメント形式になる前までは、実業団などを中心とした国内トップリーグや大学の上位チーム以外に関しては、1月の集中開催だった本戦に出場するためにはブロック大会で優勝する必要があった。
ブロック枠は関東や東海、近畿など9つのみ。つまり沖縄のチームが出場権を得るためには、まず県大会で優勝し、さらに九州代表を決めるトーナメントでも頂点に立たないといけないという極めて高いハードルがあった。
難関をくぐり抜け、新たな歴史の扉を開いた白石クラブ。県協会の創立50周年記念誌には、記念すべき第68回大会の本戦トーナメント表が掲載されている。
初戦の相手は奇しくも、第100回大会でキングスと頂点を競ったアルバルク東京の前身であるトヨタ自動車(実業団6位)だった。結果は84ー108。沖縄勢にとっては史上初の舞台だったため、十分に善戦したと言えるだろう。
その後も、沖縄教員や大米建設クラブなどが本戦までたどり着いた記録が残る。沖縄の実業団やクラブチームが下火となった2000年代は縁遠い大会になっていったが、長い空白期間を経て、沖縄から「真の日本一」を目指す熱情はプロ球団であるキングスへと受け継がれた。
そして、白石クラブが大いなる一歩を踏み出してから32年の時を経て、遂に天皇杯が沖縄へと渡った。
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