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戦後80年の記憶と、その痛みと向き合い続けている人々の記録。それぞれの中にある「戦争と平和」のリアル

2025年、沖縄は戦後80年という節目の年を迎えました。
太平洋戦争末期、日本で唯一の地上戦が繰り広げられたこの地には、いまも戦争の爪痕と記憶が確かに残されています。
戦火を生き延びた人々の証言、失われた命を刻む慰霊の地、そしてそこから再出発を遂げた沖縄の歩み――
それらから目を背けずに見つめ直し続け、感じ続けることが、次の世代に平和を手渡すために不可欠です。
戦後80年という区切りは、決して過去を振り返るだけの時間ではありません。戦争の記憶が風化し、体験者の声が少なくなる今だからこそ、私たちは「知ること」「つなぐこと」に真剣に向き合う必要があります。
沖縄の地で起きたことを、遠い記憶のひとつとして終わらせず、「現在」の私たちへの問いとして捉える――
それが私たちOKITIVEの役割だと考えます。
本まとめ記事では、当メディアが戦後80年を機に制作した記事を一挙にご紹介します。
戦争体験者へのインタビューや目を背けてはいけない悲惨な現場の真実、若い世代が受け継ぐ平和への思いなど、ぜひ一つひとつの記事に触れていただき、それぞれの中にある「戦争と平和」のリアルを感じ取っていただければ幸いです。
目次
日本軍の失敗と戦時行政とは?

日本軍の失敗と戦時行政とは?法的根拠のない大規模な防衛召集…全ての住民を兵力化した沖縄戦 戦後80年
80年前の1945年3月、アメリカ軍の進攻が迫るなか、沖縄では法的根拠のない大規模な防衛召集が行われた。
「根こそぎ動員」といわれた防衛召集の背景をひもとくと、戦況が悪化するなかで誤った判断を下し犠牲を広げていった軍と、積極的に加担した戦時行政の姿が浮かび上がる。
渡口彦信さん
「本当に惨めなものでした。友人が亡くなった思いというのは今でも胸にありますね。自分は生きてすまなかったという感じがします」…
泣きながら話す曾祖母

100歳で亡くなった曾祖母。泣きながら話す曾祖母に沖縄戦について深く聞くことができなかった…戦後80年
沖縄大学では2025年3月、「いのちの未来の平和学」というテーマで集中講義が行われた。
学生たちは講義やフィールドワークを通して沖縄戦の記憶にふれ、「平和をつないでいく」ために何が重要かを考えた。
いまから80年前の1945年。私たちが暮らすこの島で激しい地上戦が繰り広げられ、軍人や民間人あわせて20万人あまりの尊い命が犠牲となった…
見つかった校章と学徒隊の真実

戦後80年経て判明した学徒の犠牲。見つかった校章と学徒隊の真実
2025年2月、沖縄県糸満市にあるガマから「中」と彫られたバッジのようなものが見つかった。
戦後に作られた資料を紐解くとそれは、多くの生徒が学徒動員された沖縄戦をきっかけにわずか9年で廃校となった私立中学校の校章であることが分かった。
沖縄県糸満市の丘陵地にあるガマには戦時中100人以上の地域住民が身を隠していたが、日本軍の兵士数人が現れ住民を追い出したという証言が残されている…
殺される…女は乱暴される…首を絞め水に沈めた

「殺される…女は乱暴される…子どもたちの首を絞め水に沈めた」4万発の砲弾…54万の米軍が沖縄本島上陸した戦後80年
日中の艦砲射撃を避け、日が沈んだ夜に到着したクラガーにはすでに多くの村人が身を寄せていたが、山内さん一家はなんとか洞窟の入り口付近に身をひそめた。
一夜明けて空が明るくなると、山内さんの目の前には信じがたい光景が広がっていた。
山内盛光さん
「船で海が真っ黒に覆われ、潮が見えないほどでした。船から船へと渡れそうなほど、船がびっしりと並び、圧倒されるような光景でした」…
自然洞窟で起きた悲劇

国家に強制された死 。沖縄のガマと呼ばれる”自然洞窟で起きた悲劇” 38年間のタブー…戦後80年何故その沈黙を破ったのか?
沖縄戦から80年。沖縄本島中部に位置する読谷村のチビチリガマで起きた悲劇は38年もの間ほとんど知られることなく地域のタブーとして沈黙し続けた。
1945年4月、ガマと呼ばれる自然洞窟で起きた住民の強制集団死、いわゆる集団自決の記憶は風化の危機にさらされていた。
歴史の真実に光を当てたのは、1人のノンフィクション作家と地域の若い世代による調査だった。彼らはどのようにして沈黙を破ったのか。そこから見えた戦争の本質とは…
証言や記録を遺族とTVが繋ぐ

創設から9年で廃校になった私立中学”幻の学徒隊” 証言や記録を遺族とTVが繋ぐ戦後80年。
沖縄県糸満市のガマ(自然洞窟)から那覇市にあった私立開南中学の校章が見つかったというニュースを放送し、遺族や関係者からの情報提供を呼びかけた。
その後、遺族会などからの連絡がありDNA鑑定の申請も行われた。若くして戦争に命を奪われどこで亡くなったかもわからない肉親への思いは80年が経っても変わらないと遺族は語る…
変わり果てた市街地

変わり果てた市街地、焼け落ちた学び舎、破壊された沖縄県首里…80年経て判明した米軍の記録
琉球王国の栄華を象徴した首里城を捉えた記録映像が見つかった。80年前の1945年、沖縄戦で米軍が撮影した記録映像フィルムだ。無残に破壊しつくされた首里、映像から沖縄戦の実相を読み解く。
映像に映し出された白い瓦礫(がれき)の山。そこにかつての城の姿はない。龍の頭の形をした池「龍潭(りゅうたん)」がなければ、この場所が首里城であったと誰が気づくだろうか…
離島で起きた”強制集団自決”

沖縄の離島で起きた”強制集団自決”「目の前で父は頭が破裂して倒れた・・・」80年前にアメリカ軍が上陸した渡嘉敷島
沖縄戦では、アメリカ軍が上陸した渡嘉敷島で起きた強制集団死、いわゆる”集団自決”。
戦後80年を迎える2025年3月28日の慰霊祭には「今年が最後になるかもしれない」と語る生存者の姿があった…
80年前の白黒写真をカラー化

AIを使い80年前の白黒写真をカラー化し話題に「色が…遠い時間軸でもつなぐ…」戦前・戦中・戦後と沖縄の在りし日を収める
表紙には強い日差しのなか、一点を見つめる女性の姿が写っている。
写真は沖縄戦のさなか、80年前の1945年4月9日に撮影されたもので白黒写真をAIなどを使って彩色したものだ。
カラー化により母親の背で2人の兄弟が手を握りあった細かな状況が浮かび上がってくる…
日常ほど奇跡的なことはない」

「日常ほど奇跡的なことはない」生き残ることの大事さ描く映画『木の上の軍隊』 主演の堤真一・山田裕貴、平一紘監督インタビュー
「沖縄戦の縮図」と言われるほどの激戦となった伊江島での実話を基にした映画『木の上の軍隊』が6月13日から沖縄で先行公開される。
本土から派兵された厳格な日本兵・山下を堤真一さん、沖縄出身の新兵・安慶名(ルビ:あげな)を山田裕貴さんが演じ、戦争の愚かさや戦時下で直面する苦況、そして「生きること」とは何かを鋭く問う映画作品に仕上がった…
それぞれの中にある「戦争と平和」のリアル まとめ

戦後80年。沖縄の空と海は、今日も美しく、穏やかです。
しかしその風景の中に、かつて多くの命が奪われ、尊厳が踏みにじられ、恐怖ゆえに愛する者を手にかけなければならなかったという現実が刻まれていることを、私たちは忘れてはなりません。
今回ご紹介した記事群は、戦争の記憶と、その痛みと向き合い続けている人々の記録のかたちです。戦争を直接知らない世代が増えるなかで、過去の出来事を知識として受け止めるだけでなく、戦争体験者から確実に体験の記憶を受け継ぎ「自分の生き方とつなげて考える」ことが必須です。
たとえ記憶が個人から社会に移っていったとしても、そこに心を寄せ、学び、行動し続けること。それが、平和の継承であり、未来への責任だと私たちは考えます。
この記事を通じて、少しでも多くの方に沖縄の歴史や人々の思いに触れていただき、「平和とはなにか」「自分にできることはなにか」を考えるきっかけとなれば幸いです。
戦後80年という時間の重みは、私たち一人ひとりが「戦争をくり返さない」という意思を持ち続けるための、いまこの瞬間の選択の積み重ねでもあると、私たちOKITIVEは考えます。
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