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長嶺 真輝

長嶺 真輝

“Jun Yasunaga”に憧れた「NBA少年」がキングス新社長に… 岸本隆一と『同期入団』仲間陸人氏の濃密な歩みと、初のうちなんちゅ社長として見据える未来

“Jun Yasunaga”に憧れた「NBA少年」がキングス新社長に… 岸本隆一と『同期入団』仲間陸人氏の濃密な歩みと、初のうちなんちゅ社長として見据える未来
キングスのホームコートである沖縄サントリーアリーナを背に、柔らかい表情を浮かべる仲間陸人氏

Bリーグ・琉球ゴールデンキングスの運営会社である沖縄バスケットボール株式会社が7月、3代目社長の就任を発表した。
学生時代の2012年から球団経営に携わってきた仲間陸人氏である。那覇市出身の33歳。同社初の“うちなんちゅ社長”(沖縄出身者)だ。誕生日の観客をサプライズで祝うバースデーチケット、グラスの下から湧き出るビール、沖縄サントリーアリーナの電子チケットシステム、「沖縄を世界へ」という壮大なキャッチフレーズの考案…。生み出したアイデアや関わった事業は数知れない。
キングスの歴史と共にあった濃密な歩み、そして、クラブのさらなる発展に向けた展望を聞いた。

原点はNBA雑誌「HOOP」…安永淳一GMのコラムが転機に

仲間氏の原点は、2016年に休刊したNBA専門誌「HOOP」にある。月刊バスケットボールの版元である日本文化出版(東京)が1989年に創刊し、多くのNBAファンに愛された雑誌だ。

久茂地小学校5年生の時に友人に誘われて始めたバスケットボール。シューズを買うため、当時は学校から100mほどの場所にあったバスケ専門店「ステップ・バイ・ステップ」に足を運んだ時のことだ。小さな店内に設置された大型テレビに釘付けになった。流れていたのはNBAの試合映像だ。

華麗なドリブルスキル、豪快なダンク、強気な姿勢でしのぎを削る世界のトッププレーヤーたち…。「当時人気だったAND1のミックステープ(米国のストリートボーラーを写した映像)とかも流れていて、一気にバスケにのめり込みました。NBAではボストン・セルティックスにいたポール・ピアースの大ファンでした。とにかくバスケが好きなNBA少年でしたね」。当時を懐かしむ言葉には、純粋なバスケ愛がにじむ。

好きが高じて、近所の書店で手に取ったのがHOOPだった。小学生の小遣いではなかなか購入できず、立ち読みしていると、ページの後半に掲載されたコラムが目を引いた。執筆者の名前は「Jun Yasunaga」。そう、キングスの安永淳一GMである。

当時、安永氏はニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)の球団職員として、NBAで働く数少ない日本人だった。「NBAで働いている日本人がいるのか…」。子ども心に衝撃を受けた。それだけ、映像や誌面で目にするNBAは別世界だった。

「ネッツがどうとか、ニックスがどうとか、NBAについていろいろと書いているんですが、正直、小学生には内容まではよく分からなかったです。でも、ジュンさんがジェイソン・キッド(元ネッツのスター選手)と写真を撮ったりしていて、シンプルに『すごいな』と思いました。僕からしたら、憧れの存在でしたね」

自身の中に焼き付けられた“Jun Yasunaga”という雲の上のような存在。この出合いが、後に自身の人生の針路を決定付けることになる。

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