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沖縄の旧暦行事「ウガンブトゥチ」 ~仏壇持ち家庭の窓から~
私が経験したウガンブトゥチ
幼少期、ウガンブトゥチでの私の役割は、ウコールを掃除することでした。
私は子ども心ながらに、この作業が大好きでした。ふだん触らせてもらえないウコールの掃除をするということは、私たちがいつも願掛けしているヒヌカンさんの“住処”を掃除させていただいている気持ちになるからです。

家族の集うリビングに新聞紙を大きく広げて、その上にめったに触らせてもらえないウコールを置きます。ウコールには、家族が年中行事で願いをたてたヒラウコウ(線香)の数だけ、灰が山盛りになっています。
まず、家族の願いが昇華された貴重な灰を網じゃくしに盛り、ふるいにかけ、線香の残りカスや細かいゴミなどを取り除いていきます。
網じゃくしで数回、ふるいにかけた灰は手触りがなめらかで触り心地もよくなります。
そうやってまっさらきれいになった灰を、今度は掃除したウコールに大きなカレースプーンで盛り、表面を料理ベラでていねいに撫でて、すべらかな山にしていきます。
仕上がったら、その家のウフヤーアンマー(拝みをする女性)である祖母に渡します。
祖母はウコールの汚れをチェックして、最後に盛った灰の頂点を料理ベラで整えてからヒヌカンを台所の定位置にお戻しします。
そして、線香、(ヒラウコウ)水、お酒(泡盛)、生米、シルカビ(習字用紙)を準備し、ヒラウコウを15本たてて火をつけ、ヒヌカン上天の口上(拝願)を唱えます。

拝みをしている祖母が
「見てごらん。線香の火が勢いよくパチパチと燃えている。きっとヒヌカンさんが『きれいにしてくれてありがとう』と喜んでいるって、私たちに報せているんだよ。」
と目を輝かせながら話していた様子が、今でもとても印象に残っています。
私は、そんな祖母の様子をみながら、“暮らしに神が宿る”ことを自然と訓えられた気がします。

最後に。
私は“暮らしに神が宿る”と表現しましたが、これは霊感的なものではなく、あくまでも感覚的なものです。
日本には古来から“八百万の神(やおろずのかみ)”という考え方があります。
特に神様としてみたてた存在がなくとも、自然や生活のなかに神様はいて、我々人間はその見えない存在に守られて生かされているのだという感覚です。
私たちは、時に生きていく上でかかわっている他者を忘れて傲慢になることもあれば、小さな間違いを犯すこともあります。
しかし、一年間の家族のできごとを“監視して記録している”ヒヌカンさんに見られていると思うと、そうそう悪い行いはできません。あるいは少し道を外れていても軌道修正してくれる存在でもあるので、ヒヌカン信仰というのは内なる神(である自分)の存在を確認するうえでも大切なのかも・・・と思ったりもします。
今回は、年中行事から「ウガンブトゥチ」を紹介しました。
次回も、沖縄ならではの年中行事「ジュウルクニチー(十六日祭)」についてお伝えしたいと考えています。

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