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真境名 育恵

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沖縄の旧暦行事「ユッカヌヒー」は、ハーリー・ポーポー・おもちゃ、を… ~仏壇持ち家庭の窓から~

読者のみなさん、こんにちは!ライターの真境名育恵(マジキナイクエ)です。
今年も1/3が過ぎてしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか?

筆者におきましては、お子さま奉公となったゴールデンウィーク明けあたりから「五月病」のような鬱々とした気持ちが一瞬湧きましたが、夏日向かう日差しの突き刺すような紫外線にボーっとしがちな日々に否が応でも刺激をもらっています!(ボーっとしていたらウッカリ日焼けしちゃうぜ!押忍。)

さて、今回も沖縄の旧暦行事について、「仏壇もちの家」に生まれた筆者自身の経験も交えながら綴っていきます。どうぞよろしくお付き合いください。
今回は、沖縄の年中行事「ユッカヌヒー」をご紹介いたします。

目次

ユッカヌヒー ポーポー

「ユッカヌヒー」とは?

ユッカヌヒーは旧暦5月4日のことを言い、沖縄各地で海のお祭りであるハーリーが行われます。
今年、那覇の泊ふ頭では観光イベントとしての「ハーリー大会」が行われましたが、もともと、沖縄の御願(ウガン)としてユッカヌヒーは海神様(海の神様)への祈願祭です。

ハーリーの会場には玩具の市が立ち並び、昔の子ども達にとっては、おもちゃを買ってもらえる一年に一度の楽しい日でもありました。
翌5日には子供の健やかな成長を祈り、あまがしやポーポーを作って食べて子供たちの無病息災を願います。

つまり、ユッカヌヒー(四日の日)は「竜神様への祈願祭」と「年に一度、玩具が市に並ぶ日」とされています。

ユッカヌヒー
「瀬長島」からみた海。竜宮の神のお社があります。

「ユッカヌヒー」いつやるのか?

ユッカヌヒーは毎年、旧暦5月4日の行事です。2023年は新暦6月21日に行われます。
旧暦の5月4日当日またはその前後に、一年間の豊漁と航海安全を祈願すべくハーリーと呼ばれる爬龍船競漕が県内各地で行われます。

「ユッカヌヒー」の、お供え物はポーポー?

ユッカヌヒー ポーポ
小麦粉を水で溶いたタネを薄く焼いて巻いた沖縄の伝統菓子「ポーポー」。

ユッカヌヒーには、あまがしやポーポーを食べる風習があります。
ポーポーといえば読谷村・楚辺のポーポーが沖縄では有名で、今でも楚辺の店には行列ができるほどの沖縄を代表する人気のお菓子です。

一般的にポーポーにはアンダンス―と呼ばれる沖縄の味噌等を巻きこみますが、読谷村楚辺に伝わる「楚辺ポーポー」は、生地に黒糖に風味が広がるシンプルな味わいに定評があります。
そのレシピは門外不出で、家庭の味として地元民にも深く愛されています。

沖縄県民に愛されているポーポーについて、本州から移住してきた友人に「ポーポーとちんびんって、同じ食べ物じゃないの?どこが違うの?」と聞かれたことがあります。
確かに「ちんびん」は「ポーポー」は小麦粉を水で溶いたものをフライパンで薄く焼いてクルクル巻いているという点においても見た目が似ているので、ウチナーンチュでも違いがわからない人も多いと思います。

私も正直、違いが判らなかったので調べてみると、ちんびんは黒糖味の甘い食べ物でポーポーは油味噌で味付けしたものという違いがあることを知りました!
つまりポーポーはおかず系で、ちんびんはおやつ的な位置づけらしいのです。
ということは“ほのかな黒糖味が人気”の楚辺ポーポーは、ちんびんに近いお菓子なのかも知れませんね!!

ユッカヌヒー ポーポー
店頭販売のPOPにも「ポーポー」と「ちんびん」が混在しています!

そして年中行事のユッカヌヒーの拝み方として参考にしているのが『沖縄の年中行事方法とお供え物 御願のグイス(高橋惠子著:那覇出版社)』です。
本によると、もともとユッカヌヒーは「竜神の神へ祈る」日とされ、旧暦の五月四日にヒノカンや仏壇にポーポーやあまがしをお供えして豊漁祈願、航海安全、仕事の成就祈願をする日となっており、海人(漁師)を生業とする人々が多かった沖縄では日々の糧を得る豊穣の海に祈りを捧げる重要な日だったことが窺えます。

今でも漁師町として名高い糸満市では、ウガンバーレー(拝みハーリー)を盛大に行い、女たちは御馳走をふるまう重要な日でもあります。
また、翌日の旧暦5月5日は新暦行事と同じく、端午の節句として家族の健康を祈願する日とされています。

ユッカヌヒー
南城市の丘。「奥武島」の海を臨む景色。(奥武島は旧暦行事に沿ったイベント風景が現在も見ることが出来る漁師町の一つです。)

私が経験した「ユッカヌヒー」

実はわたくし、生家の生業が「お菓子と玩具屋」だったため、年に一度沖縄の子ども達がおもちゃを買ってもらえる日としてのユッカヌヒーは、おもちゃを買ってもらう側ではなくおもちゃを売る側でした。
といっても沖縄の伝統行事でもある由緒正しいユッカヌヒー玩具であるウッチャリクブサー(おきあがりこぼし)や張り子の人形などを販売していた訳ではなく、当時流行っていた「ビックリマンシール」や子供たちがお小遣いで買える駄菓子を販売する一銭まちやーだったのです。
※「いっせん」というのは米軍統治時代「1セント」でお菓子をいっぱい買えたことに由来します。

大人になって思い返すと一年中、お菓子を食べられる環境にいたという点において私の子ども時代は、クェーブー(食うに困らない運のこと)で恵まれた環境だったと思います。
もちろん「お菓子屋や玩具」は商品だったので、店頭から自由に食べることが出来たわけではありませんが、店の手伝いをすると祖父母がお駄賃替わりに店頭のお菓子を包んでくれました。
その経験のせいか、さほど甘いものやお菓子への執着心が少なく子どもの頃は梅干しやオリーブなど、塩気があるものを好んで食べる変わった子どもでしたね(笑)。

ユッカヌヒー おもちゃ
某所でオモチャ選びするのが大好きな我が家の双子。ユッカヌヒーもこんな雰囲気だったのかも!?

私にとっての「ユッカヌヒー」

私にとってのユッカヌヒーは沖縄の観光イベントの一つである「ハーリー」を楽しみ、ハーリー会場の屋台でお菓子やおもちゃを子ども達に買って親子で楽しむ日になっています。
また、ユッカヌヒーが行われる新暦六月は、日本で唯一の地上戦となった沖縄では「慰霊の日」という戦争で亡くなった人たちの御霊を慰める重要な日があります。

私の生家が戦後の復興の出発点となったといわれる壷屋(開南)で菓子屋を営むようになった経緯を、亡き祖父母に詳しく聞いたわけではありませんが戦争中、祖父は薬事班として沖縄戦に参加していた際、逃げつかれて寝ていた河原で米兵に捕まり“殺される!”と思ったら、ハワイに捕虜として送られた話を聞いたことがあります。
ハワイでの捕虜生活は米軍の食糧倉庫の棚卸や掃除が主で、賞味期限が切れた食料品は祖父をはじめとする捕虜たちの食糧になったらしいのです。
祖父によると「食うに困らず、まるで天国のようだった」捕虜生活では、それまで見たことも食べたこともなかったお菓子を食べた経験が一番印象に残っているとは話していました。
一方、祖母は身重の体で年老いた両親を背負い、地上戦激戦区である南部をひたすら戦火から逃げていた話を生前、寝物語として聞いたものです。
なんとか凄惨な沖縄戦を生き延びた祖父母の戦後の生業が「お菓子と玩具屋」になったのは、おそらく祖父のハワイでの捕虜経験が起因しているのではないか?と思う節があります。
というのも生前の祖父はフレンチトーストをコンデンスミルク入りの甘いコーヒーに浸して食べることを好むほどアメリカナイズされた筋金入りの甘党だったからです(笑)。

時折、幼かった私の手を引いて商店街の定食屋に行き、甘いあまがしを注文して祖父と一緒に食べたことがありました。
普段は朴訥とした九州男児だった祖父が、この時ばかりはあまがしの甘さに目を細めながら「育恵、あまがしは美味しいかい?」と私の顔を覗き込むように聞きました。
その時の祖父の表情はあまがしよりも甘く、幸福に満ちた顔だったことを私は今でも忘れることが出来ません。

おそらく祖父にとって「甘いものを食べること」は、最高の贅沢であり生きる喜びを感じる瞬間だったに違いありません。
今回は、沖縄の年中行事から、「ユッカヌヒー」を紹介しました。

ユッカヌヒー
沖縄戦を奇跡的に生き延びた祖父母の若かりし祖父母と娘たち(私の母と叔母)。
「浜下り」シーズンの泡瀬干潟。遠浅の干潟では二枚貝が採れます。

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