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アナウンサーが語る”沖縄移住”Vol.04:「120点」の満足!沖縄移住8年目の植草アナの人生観を変えた、取材での気付き
沖縄テレビ放送(OTV)の植草凜(うえくさ りん)アナウンサーのリアルな体験談をお届けしてきた連載企画も、いよいよ今回が最終回。
最後は「アナウンサーという仕事」の視点から見えた沖縄、そして報道の現場にいたからこそ気づくことができた、この島の奥深さについてお届けします。
取材を通して触れた人々の圧倒的な郷土愛、そして歴史インタビューから学んだ「沖縄の人のあたたかさの理由」とは――。沖縄移住8年目を迎えた植草アナが「120点!」と満面の笑みで言い切る、その真っ直ぐな想いをぜひ最後までご覧ください。
目次:アナウンサーが語る”沖縄移住”Vol.04
・取材で触れた、この島の人々の「誇り」
・憧れのアーティストへの取材と、バスケットボール文化の熱狂
・戦争体験者から学んだ、優しさの理由
・満点以上の選択、私の移住は120点
・何度人生をやり直しても、またこの島へ
・アナウンサーが語る”沖縄移住” Vol.01
取材で触れた、この島の人々の「誇り」
根底にある「沖縄のために」という圧倒的な熱量
今回は、プライベートな暮らしの視点から少し離れて、アナウンサーという仕事の視点から見えた沖縄、報道の現場にいるからこそ気づくことができた、この島の奥深さについてお話しをさせてください。
現在、私は沖縄に移住して仕事を始めてから8年目を迎えています。住まいの場所については、移住した当初に一人暮らしを始めてからずっと、那覇で暮らしています。
沖縄の生活といえば、毎年やってくる大型台風による停電や断水のインフラ被害がよく心配されますが、幸いなことに、私は那覇で暮らしてきた丸7年間のなかで、自宅で停電や断水を経験したことが、偶然にも一度もありません。
報道機関の人間として、台風のたびにどのような被害が出ているか、インフラがどれほどのダメージを受けているかの情報が入っていきますが、たまたま私が住んできた地域は、一度もライフラインが止まることなく、不自由なく過ごすことができています。
この「7年間一度も停電・断水を経験していない」というのは、沖縄の平均から見ると、もしかしたら結構珍しくて幸運なケースなのかもしれないですね。
そんな恵まれた環境のなかで、日々アナウンサーとしてスポーツの現場だけでなく、多種多様なジャンルのニュース取材へ赴き、県内の色々な方々にお会いして直接お話を伺ってきました。そうした日々の取材の積み重ねのなかで、私の人生観を大きく揺さぶるような、ある一つの強烈な「気付き」がありました。
それは、どんなジャンルの取材をしていても、お話を伺う皆さんの言葉の根底には、共通して、熱い想いがあるということでした。
取材のなかで、皆さんが語るお話の中には、「大好きな沖縄のために」という、深い愛と誇りの言葉が据えられているのです。
たとえば、日々過酷な勝負の世界で戦っている地元のスポーツ選手たちを取材している時。彼らが語る目標や、頑張る原動力についての話を聞いていると、「沖縄の子どもたちのために、自分が必死に戦う姿を見せたい」とか、「生まれ育った故郷のために、自分が活躍して沖縄の街を元気にしたい」という話になります。
スポーツ以外のビジネスやカルチャーの取材であっても、皆さん本当に強い誇りと愛を持って、日々の仕事や活動に取り組まれているな、という熱量をどの現場に行ってもビシビシと感じるのです。
この島の人々が持つ圧倒的な郷土愛の熱量に触れた時、私は自分の過去を深く振り返ることになりました。
私の地元は兵庫県の西宮市。もちろん私は自分の地元のことが大好きですし、良い街で育ったなという愛着は持っています。
しかし、地元に住んでいた日々のなかで、「すべては地元・兵庫のために!」「兵庫の発展のために、自分はこれをしていくんだ!」という強い目的を抱いてかというと、全く考えていなかったんですよね。自分のことで精一杯だったというか、地域のためにという視点は、当時の私の中にはほとんどありませんでした。
ところが、仕事を通じてこの島の人たちの凄まじい熱量に何度も何度も触れているうちに、かつては想像もしなかったような大きな変化が自然と生まれてきたのです。
「自分も、これまでずっとお世話になってきた沖縄のために、何か力になりたい。沖縄のためになる仕事がしたい」という気持ちが、ものすごく強く湧き起こるようになっています。
スポーツの現場を取材していても、ただ試合の結果を伝えるだけでなく、「今、沖縄でこれほど必死になって頑張っている素晴らしい人がいるんだ」という事実を、放送を通じて沖縄の人たちに広く知ってもらいたい、それを見た誰かの日々の頑張る力やエネルギーになってほしい、という熱い想いを持ってマイクを握るようになりました。
周りにそういう「故郷のために」という熱量を持った人たちが多かったからこそ、そのエネルギーに感化されて、人生観や仕事観のなかに、「地域のために、誰かのために頑張る」という、かつては考えたこともなかった新しい視点や変化が、自然と育まれていったのだと感じています。
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