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アナウンサーが語る”沖縄移住”Vol.04:「120点」の満足!沖縄移住8年目の植草アナの人生観を変えた、取材での気付き
目次:アナウンサーが語る”沖縄移住”Vol.04
・取材で触れた、この島の人々の「誇り」
・憧れのアーティストへの取材と、バスケットボール文化の熱狂
・戦争体験者から学んだ、優しさの理由
・満点以上の選択、私の移住は120点
・何度人生をやり直しても、またこの島へ
・アナウンサーが語る”沖縄移住” Vol.01
戦争体験者から学んだ、優しさの理由
そして、私がこれまで沖縄で仕事をしてきたなかで、最も深く魂を揺さぶられ、これからの人生観に大きな影響を与えられたと感じているのが、移住して7年目に担当した、ある大きな歴史インタビューの仕事でした。
それは、太平洋戦争末期の凄惨な沖縄戦の語り部であり、平和運動の象徴的な存在としても知られる、あの『白旗の少女』のモデルとなった、比嘉富子(ひがとみこ)さんへのインタビューでした。
沖縄に移住してきてから、戦争の体験者と一対一でじっくりとインタビューをさせていただく経験はなく、その時の比嘉富子さんの取材が初めてだったのです。沖縄戦という歴史の悲惨さについては理解しているつもりでしたが、実際に比嘉富子さんご本人の口から語られる、戦場のリアルな記憶や言葉の重みに直接触れた時、その印象深さはこれまでの比ではありませんでした。私の胸の中に、本当に強烈な衝撃として今でも残り続けています。
比嘉富子さんは、私に向けてこのように語ってくださいました。
「沖縄の人がね、どうしてこれほど誰に対しても温かくて、人に優しく接することができるのか分かりますか?それはね、沖縄の人たちはみんな、あまりにも悲惨な戦争を通じて、身を引き裂かれるような本当の『痛み』というものを、身をもって知っているからなんですよ。自分が本当の痛みの深さを知っているからこそ、目の前にいる人の痛みが自分のことのように分かり、だからこそ、誰に対しても損得抜きで、どこまでも優しく手を差し伸べることができるんですよ」
このお話を伺った時、私は強い感動を覚えました。この島の人たちが持つ、あの底抜けの温かさや、子どもに吸い寄せられていく穏やかな性格。その背景には、ただ「南国だから」というような単純な理由ではなく、歴史のなかで流された多くの涙や、本当の痛みをみんなで分かち合い、乗り越えてきたという、非常に重くて深い心の土台があったんだ、という真実を、取材を通じて初めて学ばせてもらったのです。
そして、この「本当の痛みを知っているからこそ、人に優しくなれるんだ」という比嘉富子さんの教えと、全く同じ内容のお話を、違うジャンルで活躍されているアーティストの方に取材した時にも耳にしました。
それは昨年、沖縄を代表する有名なロックバンドである「かりゆし58」のボーカル、「前川真悟(まえかわしんご)」さんにインタビューをさせていただいた時のことです。
「沖縄には、みんなで音楽を愛する素晴らしい文化がある。なぜこれほど音楽が大切にされているかといえば、かつて沖縄戦の厳しい時代のなかで、自由に歌を歌うことすら叶わなかった、歌を奪われたという、苦しくて痛い過去の歴史の記憶があるからだ。歌えなかった本当の痛みの歴史を皆が知っているからこそ、今、こうしてみんなで集まって、当たり前のように声を合わせて歌を歌えるという事実に対して、震えるほどの深い喜びと感謝を感じることができ、だからこそ音楽の場所は、誰に対してもどこまでも優しく開かれるんだ」
戦争を生き抜いた比嘉富子さん。そして、第一線で音楽を届けるかりゆし58・前川真悟さん。生きる世界も、伝えている手段も全く違うお二人が、口を揃えて「沖縄の人が持つ優しさや喜びの根底には、沖縄戦の『痛みを知っているから』という共通の土台がある」と語る。
そのお話をそれぞれの取材先で直接伺うことができた経験は、私のなかで本当に素晴らしい、忘れられない印象的な出来事として繋がりました。
関西・西宮で育った自分が、全く違う歴史を持った沖縄に暮らし、アナウンサーの仕事を通じて、島の深い精神や生まれ故郷を愛して誇りを持って生きる人たちの姿を、間近で見つめさせてもらっている。その出会いの数々を経て、間違いなく視野が広がりました。
ただ、その広がった視野のすべてを、今ここで完璧に綺麗な言葉で語ろうとすると、それはなかなかうまく言語化できないというか、言葉にするのが難しい。
けれど、地域のために、誰かのためにという想いを持って生きる人たちの熱量に触れ、自分自身の人生観や仕事観が、この沖縄という土地にいるなかで自然と新しく変えられていったということ。それ自体が、私がこの7年間の仕事を通じて得ることができた、何物にも代えがたい最大の心の成長であり、沖縄に来て本当に良かったなと思える部分です。
地元の関西を離れて暮らすようになったことで、改めて自分の育った西宮の街に対しても、「自分は本当にいいところで育ったんだな」という側面はもちろんあります。でも、そうやって地元が好きになったこと以上に、「沖縄のことが、本当に好きになれたな」という気持ちの方が、はるかに強く、大きく私の中に存在しています。
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