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アナウンサーが語る”沖縄移住”Vol.01:偶然のご縁から始まった移住生活が、私にとって120点満点になった理由
沖縄テレビ放送(OTV)で活躍するアナウンサーの中には、仕事のスタートや転機に合わせて、沖縄へと移住してきた方々がいます。
今回は、OTVで活躍する植草 凜(うえくさ りん)アナウンサーにインタビュー!
沖縄を選んだ理由、住んで驚いたローカルな出来事、リアルな子育て事情――。さらに、取材を通して触れた「地域の人々の誇りや想い」まで、全4回にわたってリアルな体験談をお届けします。
アナウンサーという独自の視点を通して見えてきた沖縄の姿とは?等身大のリアルな体験談を、たっぷりご紹介します!
目次
アナウンサーとして決まった場所が、沖縄だった
アナウンサー就活と、偶然のご縁
こうして座って質問を受けていると、まるで取り調べを受けているみたいですね(笑)。私の仕事はアナウンサーなので、普段は「聴き出す側」なんです。だから、こうやって自分自身のことを聞かれる立場になるというのは、気恥ずかしいものがあります。
今回は、県外出身者の沖縄暮らし、沖縄移住についてお話しさせていただきます。
まず、私がなぜ沖縄で働くことを決めたのか。 そもそも私は、アナウンサーになりたくて就職活動をしていました。アナウンサーの就活というのは独特の流れがあって、まずは東京や大阪といった大都市の放送局から試験が始まり、それが終わると全国各地の地方局へと、日本全国を巡るように受けていくものなんです。私も例に漏れず、いろいろな地方の放送局へアナウンサー試験を受けに行きました。
そんな就活の旅を続けるなかで、自分の中でひとつ一貫して決めていたルールがありました。それは、「日本全国、どの地域であっても関係ない。とにかく、最初に自分に内定をくれたテレビ局へ行って、そこで伝え手として働こう」という決意です。どこの地域でなければ嫌だとか、そういうこだわりは一切持っていませんでした。
そうやって、最初にご縁をいただくことができたのが、OTVだったのです。最初に受かった場所に行くということは、自分の中でずっと前から決めていたブレない軸でしたから、内定をいただいた瞬間に沖縄へ行くことが決まりました。私にとって、沖縄という島への入り口は、この運命的な出会いから始まったのです。
毎年訪れていたリゾートが「日常」になるまで
実は、沖縄には毎年のように来ていました。両親が沖縄のことが大好きで、私が小学生のころから家族で沖縄旅行に訪れていたのです。
旅行先は、宮古島や石垣島といった離島が多かったです。本島に来ることもありましたが、那覇の市街地に滞在することはなくて、恩納村や名護市、本島北部のいわゆるリゾート地ばかりを回っていました。
この習慣は大学生になってからも続いていて、今度は家族でなく、大学の友人を誘って毎年のように沖縄を訪れていました。ですから、沖縄の土地勘だったり、あの独特の風土の空気感というものは、毎年の旅を通じて「なんとなく知っている」という状態ではありました。
大学時代の居酒屋バイトが繋いでくれたもの
さらに、学生時代を振り返ると、もうひとつ沖縄との不思議な接点がありました。大学3年生からの約2年間、大阪にある沖縄居酒屋でアルバイトをしていたのです。
そこでの2年間は、毎日、ゴーヤーチャンプルーなどの沖縄料理を運ぶホールスタッフとして働いていました。
そう考えると、一年に一回の楽しい旅行という非日常の場でもそうですし、週に何度も入るアルバイトという日々の生活のなかでも、私は常に沖縄に触れ続けてきた人間だったと言えます。
沖縄の食文化も雰囲気も、これまでの人生でずっと触れてきたものでしたから、移住への不安は全く抱いていませんでした。
ただ、それまで実家を出たことがなく、一人暮らしというものを一度も経験したことがなかったので、純粋に「初めての一人暮らし」に対する不安はありました。それに加えて、沖縄は海を隔てた島ですから、「地元から遠く離れた場所で暮らしていけるのだろうか」という、漠然とした不安や心細さは、確かにありました。
何度も沖縄に来てはいましたが、那覇に滞在したことが一度もありませんでした。基本的に行くのは北部や離島のリゾート地ばかりでしたから、「OTVのある那覇って、いったいどんな街なんだろう?」ということが、全く想像がつかなかったのです。
那覇がどんな場所なのか不安とワクワクした感情。その両方がマーブル状に入り混じった気持ちを抱えながら、私は沖縄の地へと足を踏み入れました。
沖縄観光イコール、リゾートや大自然という印象しか持っていなかったからこそ、いざ、移住した2019年の4月、那覇の街並みを初めて見たときは、「お、こんなに都会なんだ!」と、ものすごくびっくりした記憶が今でも鮮明に残っています。
想像以上に都会だった那覇、そして強烈な洗礼
「移住=田舎」ではない、那覇の利便性
実際に暮らし始めて気づいたのですが、やはり「観光で訪れる沖縄」と「実際に暮らす沖縄」というのは、全くと言っていいほど中身が違います。
リゾート地としての側面しか知らなかったので、特に那覇の利便性は大きなギャップでした。
私の実家は、兵庫県の西宮市というところにあります。人口はおよそ48万人の都市なのですが、那覇の街とあまり変わらないんですよね。
都会から地方への引っ越し、いわゆる「移住」という言葉の響きだけを聞くと、多くの人は、都会の喧騒を離れて、緑豊かな田舎へと引っ越してスローライフを楽しむ、といった田舎暮らしを連想しがちだと思います。
しかし、那覇の現実は全く違っていて、どこにでもスーパーマーケットがあるし、24時間営業のコンビニもあるし、大きなショッピングモールもある。生活していく上での不自由さや、買い物に困るようなことは全くありませんでした。
観光客として見ていたリゾートの印象とは裏腹に、実家の風景と変わらない利便性を持った都会であるということ。これが、暮らしのなかで最初に感じた、良い意味での大きなギャップでした。
経験したことのない「湿度」とカビの衝撃
ただ、そんな都会的な便利さに安心したのも束の間、実際に生活が始まると、すぐに沖縄ならではの強烈な洗礼を受けることになります。
引っ越してきたのが4月で、沖縄の環境に少しずつ慣れてきた5月頃、すぐに「梅雨入り」の季節がやってきます。その時に体感した、あの湿度の凄まじさは、これまでの人生のなかで、一度も経験したことのないレベルのものでした。
私は県外からやってきて、沖縄の気候事情を本当に何も知らなかったので、一人暮らしを始める部屋に除湿機を持っていかなかったのです。これが、大きな間違いでした。
梅雨が本格化したある日、部屋のクローゼットを開けてみると、お気に入りの服たちがカビてしまっていたのです。目の前が真っ白になりました。「うわ、服が全部カビてる……!」と、ショックを受けましたね。
その時、身をもって「沖縄で生活していくためには、除湿機はマストアイテムなんだ。これがないと生きていけないんだ」ということを、手痛い失敗とともに知りました。本当に、何も知らなかったからこその珍事件であり、最初の大きな洗礼でした。
15分遅れの路線バス、通勤での気付き
それから、毎日の移動や通勤のなかでも、文化や認識の違いにびっくりさせられる出来事がありました。
私が高校生のころ、関西でバス通学をしていたのですが、バスが定刻よりもほんの1分や2分遅れてきただけでも、「あ、今日は遅れているな」と時計を見ながら焦っていました。定刻通りにバスが到着するのが当たり前だと思って生きてきたのです。
ところが、沖縄に来てバス通勤をするようになってからは、その時間に対する認識がガラリと変わりました。15分や20分遅れる日があっても、周りを見渡しても、誰も「遅れている」とは言わないんですよね。それは遅れのうちに入らないというか、全然遅れとは呼ばない。
時間というものに対する、根底にある「認識の違い」が、関西と沖縄の間にははっきりと存在しているんだなと、バス停の風景のなかで深く実感させられました。
スーツ姿の人がいない通勤風景とかりゆしウェア
通勤中の人々の服装についても、関西との明確な違いに戸惑い、おもしろいなと感じた瞬間がありました。
街中や通勤の風景のなかに、「スーツを着ている人がかなり少ない」ということです。
関西の通勤電車であれば、朝のラッシュ時は見渡す限り黒や紺のスーツを着たビジネスパーソンで埋め尽くされているのが当たり前ですよね。しかし、沖縄でモノレールに乗って通勤していると、スーツ姿の大人はほとんどいません。多くの人が、「かりゆしウェア」を着て通勤しているのです。
さらに、平日の通勤時間帯であっても、車内の半分くらいは大きな荷物を持った観光客の方々が占めています。関西の満員電車とは全く違う、かりゆしウェアに身を包んだ人々と観光客が半分ずつ混ざり合うその通勤風景は、印象的なカルチャーショックでした。
県民の当たり前は、移住者の驚き?次回は「食のギャップ編」
「最初に内定をくれたテレビ局へ行き、伝え手として働こう」そう決めていた植草アナが、運命的にご縁を結んだのがOTVでした。
幼少期から毎年家族で沖縄へ訪れ、大学時代のバイト先も沖縄料理店。移住への不安は「全くなかった」と振り返ります。
しかし、そんな植草アナの余裕を覆す“衝撃の現実”が待ち受けていました。
次回は、沖縄移住後に直面したリアルな食文化のギャップに迫ります。食材の値段への驚きから、今では日常になったポークや沖縄そばの裏話まで。県民にとっては当たり前でも、移住者には驚き連続のエピソード編。来週もお楽しみに!
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