公開日
OKITIVE編集部

OKITIVE編集部

体の弱かった少年が箱根駅伝に出場”マラソン日本代表”を見据える上原琉翔「挑戦することにビビらないで」

沖縄の先輩から受け継がれるタスキ

目次:”マラソン日本代表”を見据える上原琉翔「挑戦することにビビらないで」
・体の弱かった少年が、さまざまなスポーツに挑戦
・「足腰を鍛えてこい」偶然始まった長距離走
・親友と選んだ北山高校への進学
・沖縄の先輩から受け継がれるタスキ
・弱かった頃から見てくれた國學院大學
・親友と共につかんだ初優勝
・富士通で始まった、個人としての勝負
・ニューイヤー駅伝、そしてマラソンへ
・「沖縄の長距離」をもっと知ってもらうために
・「挑戦することにビビらないで」

走りの土台をつくった大城昭子さん

北山高校で上原選手を指導したのが、当時教員として陸上競技部の監督を務めていた大城昭子さんだ。沖縄の陸上競技の世界では名将として知られている。

県内では強豪として知られる北山高校だが、全国の大会では厚い壁に阻まれた。
当時の沖縄では、最新のトレーニング方法や専門的な情報に触れる機会が、関東などに比べて限られていた。大城先生はその差を埋めようと、県外へ出向いて走りの動きづくりなどを学び、北山高校の選手たちへ持ち帰ったと上原さんは振り返る。

新たな動きづくりを練習に取り入れてから、上原選手だけでなくチーム全体の競技力も高まった。環境の違いを嘆くのではなく、少しでも新しい知識を選手へ届けようとする姿勢が、全国に挑む土台をつくった。

上原琉翔選手
「先生の熱意に応えたいという思いがありました。自分たちが結果を出すことが、先生への恩返しにもなると思っていました」

体の弱かった少年が箱根駅伝に出場 ”マラソン日本代表”を見据える上原琉翔 「挑戦することにビビらないで」
高校時代の恩師・大城昭子さんとの交流は今も続いている 写真提供:上原琉翔さん

「沖縄からでもできる」道を示した濱崎達規さん

体の弱かった少年が箱根駅伝に出場 ”マラソン日本代表”を見据える上原琉翔 「挑戦することにビビらないで」
濱崎達規さんとの交流する中でアスリートとしての視座を開いた 写真提供:濱崎達規さん

もう一人、上原選手の競技人生に大きな影響を与えたのが濱崎達規さんだ。濱崎さんは沖縄から亜細亜大学に進学し、2009年、2010年に箱根駅伝に出場、その後は小森コーポレーションで実業団ランナーとして活躍後、現在は沖縄県南城市での陸上クラブ「なんじぃAC」で後進の指導にあたっている。

上原選手は中学生の頃、野球を続けながら地域の長距離練習にも参加し、県代表として出場した都道府県対抗駅伝などを通じて濱崎さんと交流するようになった。

体の弱かった少年が箱根駅伝に出場 ”マラソン日本代表”を見据える上原琉翔 「挑戦することにビビらないで」
写真提供:濱崎達規さん
体の弱かった少年が箱根駅伝に出場 ”マラソン日本代表”を見据える上原琉翔 「挑戦することにビビらないで」
写真提供:濱崎達規さん

上原琉翔選手
「濱崎さんに憧れて、長距離はかっこいいと思うようになりました。濱崎さんのように実業団で活躍して、沖縄の子どもたちに良い影響を与え、目標になれる選手になりたいという思いがあります」

日々の練習を通して走りの土台を築いた大城先生と、沖縄から全国へ挑む将来像を示した濱崎さん。

二人から受け取ったものは、富士通で競技を続ける現在の上原選手にもつながっている。
「大城先生や濱崎さんをはじめ、沖縄で支えてくれた人たちへの恩返しは、自分が最前線で挑戦し続けることだと思っています。子どもたちの憧れや目標になれるような存在になりたいです」

あわせて読みたい記事

あなたへおすすめ!